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二分法について

id:the_sun_also_rises 敵と味方。二元思考。左派に多い論調だ。今回左派の主張は実現しなかった。彼らは失敗からなぜ学ばないのだろう。粘り強いではなく頑迷。理想論ではなく教条的。現実を少し分析し取入れれば違う将来もあろうにと思う*1

 これはこれでよくある論調だな。


 政治的な争点をめぐって「二分法」を使わずにどのように考えることができると言うのだろう。今回の件で言えば、「辺野古案に賛成か、反対か」、そのような二分法を用いて状況を整理することは必要不可欠なことでさえある。問題は、二分法それ自体ではない。

 もちろん、「二分法」といってもさまざまな分け方がある。だから、ただ一つの分け方だけを特権的に論点化し、「より重要な」他の分け方を隠蔽するように用いるのであれば、そこには問題がある。たとえば、「鳩山首相の退陣に賛成か、反対か(A)」という二分法を強調することで、「辺野古案に賛成か、反対か(B)」という論点を隠蔽する、争点から外すように振る舞うのは問題があるだろう。この件に関して言えば、まずは、論点(B)こそが論点(A)よりも重要である。なぜなら、論点(A)は、鳩山首相のこれまでの振る舞いを評価した上で判断されるべきことであるが、論点(B)は鳩山の振るまいを評価するための前提、論理的に先行するはずだからである。

 多様な考え、とは、漠然といろんな考えを並べてみる、というだけのこととは違う。最初のうちは、仕方ないこともある。しかし、ある程度議論が煮詰まってくれば、多様な考えもさまざまな系統別に整理することになる。つまり、数種類の二分法を用いて、それぞれの二分法に対する位置づけの組み合わせに、一つひとつの考えを位置づけていくことになる。たとえば、論点が三つあるなら、最大八通りの立場がありうる*2。……もちろん、大抵の場合、このような整理にはめこめない考え方が残る。ただし、その場合は、四つめの論点の存在を示唆するのであって、二分法それ自体が否定されているのではない。

 あるいは、二つではなく、三つ以上に分けられるという場合はどうだろうか。たとえば、「財政出動か、財政再建か、またはその両方か」。この場合には、「財政出動か、否か」、「財政再建か、否か」という二つの二分法として整理すればいいし、「なにもしない」という選択肢をも一応考えるなら、選択肢は三つではなく四つだ。二分法で考える方が、見落としが少ない場合もある。

 このように、二分法的思考は、思考のもっとも基本的な道具の一つである(二分法によらない思考はもちろんあるとしても)。仮に、先の僕の記事を批判するのであれば、「二分法である」こと自体を批判するのではなく、論点(B)を最重要の争点として提示し直そうとすることに対する批判でなければならない。この場合は、論点(B)ではない別の二分法的構図を示し、そちらの方がより重要であると主張する必要がある。単に、「二分法である」ということを指摘するだけで批判になると考えるのは、よくある勘違いに過ぎない。

 ただ、この手の「二分法批判」には、単に考えが足りないというだけでなく、明白な弊害もある。「二分法である」ことを批判しようとしまいと、問題はいくつかの二分法に依拠して整理されることが多いのだから、「二分法である」との批判は、恣意的・選択的な批判になりがちである。ゆえに、それは二分法と自覚されずに用いられている二分法、通常それは、人々が疑う気にあまりならない常識的な思考の中に含まれるのだが、そういうものだけを特権的に免責し、そうした常識の変更を迫る批判についてのみ「二分法である」と批判することになりがちだ。その意味で、「二分法批判」こそが、硬直した二分法的思考を助長するはたらきをする。

 ちなみに、論点(B)に対して、「わからない」という立場はありえても、「どちらでもない」という立場はありえない。……この区別も理解できない人がしばしばいるけれど。


 以下、蛇足。こうした定型的批判をする人の際だった特徴というのがあって、これが実に教科書通りでおもしろいので、再度引用する。曰く、「彼らは失敗からなぜ学ばないのだろう。粘り強いではなく頑迷。理想論ではなく教条的。現実を少し分析し取入れれば違う将来もあろうにと思う」とのこと。つまり、辺野古の問題は、「彼らの」問題なのだ。「現実を少し分析し取入れれば違う将来もあろうに」という一文が前提しているのは「実際に分析するのは自分ではなく彼ら」ということであり、つまり、ここには図々しいまでの当事者意識の欠如がある。僕が常々「観客席の人々」と揶揄するようなタイプの人たちだ。どうも、批判が形式的で無内容なものになる傾向と当事者意識の欠如とのあいだには、経験的には、密接なつながりがあるらしい。ここはもう少し考えてみたいけれど。

*1:http://b.hatena.ne.jp/the_sun_also_rises/20100602#bookmark-21977098

*2:もちろん、ある争点での立場決定が、別の争点での立場を自動的に決定するような場合もあり、八通りより少なくなることもある。