モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

「天皇のお言葉」について

 いやー、アキヒトさん、いいこと言ってますね。でも、いいことなら詐欺師でも言うのであって、むしろ大事なことは「言わなかったこと」「なかったことにしてること」「無視したいと思っていること」の方にありますよね。感動してしまった皆さんにおかれましては、その点に留意してよくよく会見の全文を読み直すことをお勧めします。僕などは、今回の会見があまりによく演出されてるので、その底知れない悪意の深さに寒気しましたよ。今年最大級の気持ち悪さ。

 

1.アキヒト発言に書かれていないこと

 

以下、アキヒト発言にコメントを付してみたいと思います。

 

◆自然災害への強い関心、人災への並外れた無関心

 冒頭、今年の災害を振り返る言葉について。僕などは、「想像を絶する自然の力」と共に「(赤坂自民亭をはじめとする)政権を担う権力者たちの鈍感さ、無責任さ」がとてもとても強く印象に残っています。なんなんでしょうね、この「なかったことにする」感は。

 アキヒトが立場上その点を指摘できないと言うなら、まさしく象徴としての天皇の地位を政権のために利用している/されているということです。あるいは、今回のアキヒト発言が「自発的なお言葉」を装っている点にあえて乗っかって言うならば、そんなこともわからないほど鈍感だ、ということです。

 

 順序が前後しますが、後ろの方でも自然災害に触れているので、ここで言及します。

 雲仙・普賢岳の噴火から東日本大震災まで数多くの災害に言及しているのですが、一応は終わりを迎える自然災害とは違い、およそ向こう百年ほど後始末が終わるかどうか先がまったく見えない状況を生み出した未曾有の人災について一言も言及がないというのは、本当に不思議なことです。

 否、不思議でもなんでもありません。むしろ、この発言が一体誰の意図に基づくどういう目的をもったものかを、これ以上ないほど明瞭に示しています。……ああ、読んでて、だんだん吐き気がしてきた。

 

◆第二次大戦後の国際社会と日本

 「即位以来」の話の後、第二次世界大戦後の国際社会での日本の歩みについて。当然のことながら、第二次世界大戦における日本の責任および昭和天皇ヒロヒトの戦争責任に言及せずにこの話をすることは本来不可能です。

 さらに、アキヒトは「世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ」と言いますが、たとえばベトナム戦争一つをとっても、米国の私利私欲に基づいた介入が生んだ惨劇であり、そこに日米安保条約を通じて協力した日本の責任を一顧だにしていません。「民族紛争や宗教の対立」があるとして、それを奇貨として利用してきた先進国の政治がある。

 しかも、言うに事欠いて「多数の難民が苦難の生活を送っている」です。それらの難民を受け入れない方針を堅持しているのは日本政府ですし、しかも、どうにかやってきた人々を入管に閉じ込め虐待の限りを尽くしているのですから、「日本政府の管理下で」苦難の生活を送っている事実を指摘しないわけにはいきません。

 これについても、アキヒトが立場上その点を指摘できないと言うなら、(先述、以下同文)です。あるいは、(先述と以下同文)ということです。

 

◆沖縄等の「日本復帰」と慰霊の旅

 その後、戦後の道のりの中の自分史を簡単に整理しつつ、奄美群島小笠原諸島・沖縄等々の「復帰」について語られます。去る十二月十四日に辺野古への土砂投入を強行した「凶行」については、当然、一言も述べられません。

 そして、平成の時代については「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵」しているとのことですが、この人にとっては、アフガニスタンイラクでの戦争に加担し、その社会を破壊して戦前よりも酷い状態に追いやり、ファルージャなどでの直接的な虐殺を含め現地民衆の大量死を引き起こしているという事実は、まったく頭にないようです。

 アキヒトが立場上その点を指摘できないと言うなら、(先述、以下同文)です。あるいは、(先述と以下同文)ということです。

 なるほど、こんな人物が「戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオペリリュー島を、さらにその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問した」のですね。訪問したにも関わらず、ヒロヒトの戦争責任には完全に沈黙していてよいと、この人は判断したわけですか。「暖かく迎えられた」のは、当然の外交的儀礼に過ぎませんが、それらの礼儀に対して最大級の侮辱で答えている自覚をすべきでしょう。

 

 そもそも必要なことは、慰霊ではありません。彼らは日本や天皇一族と無関係のところで単に亡くなっただけの人たちではないからです。日本の植民地支配と戦争によって、亡くなったのです。要するに、加害責任を明確にしない殺人犯の慰霊を受け入れさせた、ということです。人々を死なせた支配に引き続き、死なせたことをなかったことにする支配を繋げているわけです。

 アキヒトが立場上その点を指摘できないと言うなら、(先述、以下同文)です。あるいは、(先述と以下同文)ということです。

 

◆障害者、外国人労働者など

 障害者については、パラリンピック以外に話すことがないのですね。ああ、そうですか。さらには、移民を暖かく迎え入れろ、ですか。「外国人労働者を受け入れろ」という一点にだけは賛同しますが、しかし、「実質奴隷制、人身売買だ」と厳しい批判を浴びた技能実習生の話には言及されないのですね。そうなんですね。……直近の国会での話題に関連するだけに、一体誰の意図に基づくどういう目的をもった発言なのかを、これ以上ないほど明瞭に示しています。

 アキヒトが立場上これらの点を指摘できないと言うなら、(先述、以下同文)です。あるいは、(先述と以下同文)ということです。

 家族の話は……もういいや。お腹いっぱい。ご勝手にどうぞ。

 

2.象徴天皇制の政治利用

 アキヒトの過去の不規則発言みたいな言葉を聞いて「安倍政権は嫌いだけど、天皇はリベラルだ」と言いたくなる人の気持ちはわからんではないけれど、しかし、それはやはり根本的に間違っていると言わざるをえません。

 アキヒトは天皇である前に一人の人間である。それを尊重したいとは、僕も思います。しかし、そうであるならば、「天皇である前に一人の人間であることを許さない象徴天皇制はとてつもなく残酷だ」と言うべきでしょう。それ以外の発言は「憲法違反、内容の検討無用」でおしまいです。本来ならば。

 しかも、今回のアキヒトの会見は、そういう不規則発言めいたものとは次元が違います。徹頭徹尾、現在の政権の意向に沿う形で、周到に構成され、演出された発言です。象徴天皇による明白な(そして最悪な形での)政治への関与です。好意的に見るとしても、明白かつ最悪の政治利用でしょう。むしろ、過去の不規則っぽい発言も、アキヒトのキャラを立たせるための演出だったんじゃないか、とすら思います。

 要するに、今回の会見への感想としては、「やっぱり天皇、クソだな」でなければ、「あんなに無残に政治利用されておかわいそう」しかありえないと思います。天皇の行動は、徹頭徹尾、政権の無為無策を免罪する形で利用されてきました(被災地訪問なんて、それ以外に意味はない)。今回はそこにとどまらず、政権の意向と天皇の行為(そして、おそらく意向も)が完全に一致する形で天皇の政治的発言がなされ、マスメディアを通じて大々的に報じられました。大きな一線を超えたと思います。

 どこまで続くぬかるみぞ、滅びへの道をまっしぐらですね。……今回はこのへんで。でわ。