大晦日に
来年に思いをはせる暇もない。
いろいろと忙しいこの日に何か書いておかねばと思ったのはなぜか。他でもない、例の「合意」なるもののことです。
この問題への解決は、少なくとも、次の要素を含んでいなければなりません。真相究明。責任者処罰(または、最低限、その明確化)。そして、被害者への補償。しかし、今回の合意の中に、前二者の要素は一切含まれていません。
言うなれば、ここで志向されているのは、「過ちを記憶し、二度と繰り返さないための解決」ではなく、「一切を忘れ、永遠に葬り去るための解決」です。そのことは、合意が報じられるや、歴史修正主義者からの非難が始まり、同時に、少女像の撤去や朝日新聞の責任が声高に叫ばれるという言論状況にすべて現れています。それを黙認している政府の姿勢にも、です。彼らは、本心では過ちを認めていない。
そんな欺瞞に満ちた合意でも、被害当事者を交えた中で交わされたものであるならば、まだしも。今回の合意は(も)、当事者を蚊帳の外に置き、権力者たちの都合をすり合わせるのみでなされたものでした。
しかし、この国の政府が、とりわけ安倍政権が酷いのは、良くも悪くも慣れています。今回、本当にがっかりさせられたのは、この合意を歓迎する共産党や村山富市氏の談話であり、その他「リベラル」と目されてきた人たちの発言です。中には、形ばかりの批判をしながら、つい先日は揃いも揃って『帝国の慰安婦』を持ち上げていた人たちもいます。
事態は悪化の一途を辿っています。そんな中で迎える大晦日、今夜、私たちは二つの年を跨ぎます。しかし、戦前から連綿と続く軍国主義、克服されるべきレイシズムを抱えたまま、未だ私たちは一つの歴史の流れの中にいることを、改めて確認させられました。