モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

なにが暴力か/なにを暴力とみなすのか

 http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091008
 面倒なんで、記憶に頼って書くけれど。
 追記。なんかおもしろいトラックバックが来た。>http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091009/p1


 暴力の原イメージが直接的暴力であるのはそのとおり。その上で、直接的暴力だけを問題にすれば、人が平和に暮らせるうまいやり方を考えることができるか。できない。どうしてか。直接的に殴られているわけではない場合でも、人の生命が危険にさらされていることはあるし、そこに作為や怠慢が働いていることもある。たとえば、人を殴り倒せば直接的暴力だけど、飢えている人に食べ物を「与えない」ことも、直接的暴力と同じように人を傷つける。こうして、直接的暴力とは異なるけれども、暴力と同様に人を傷つけたり破壊したりする構造を「構造的暴力」として問題化する。貧困や、差別などは、典型的な構造的暴力。

 そして、直接的暴力であれ、構造的暴力であれ、それを支持し、肯定する価値観が流布することによって力を得る、ということをも問題にしている。これを文化的暴力と呼ぶ。在特会の排外主義デモなんてのは、これに該当する。……ここで注意をしておくが、文化的暴力は、直接的暴力や構造的暴力を「助長する」という理由でのみ、問題なのではない。もちろん、助長するなら、それも問題。ただし、文化的暴力は、直接的暴力や構造的暴力を介さずに、直接に、ターゲットを傷つける。このことは、セカンドレイプの問題などを想起すれば理解できるだろう。

俺が何を言わんとしているのかをまったく読めていない(か読めていても否認している)のは、貴方達のほうだ。貴方達がレトリックとしての暴力の話をしようとしていることくらい国語の成績が東大様よりずいぶん悪い俺でも読み取れるが、しかし、俺が問題にしているのは、違う問題をレトリックで曖昧に混ぜて論じることなんだよ。

 レトリックじゃーねーよ。ある現象を見て、それがどのように作用しているかを考えて、それが人間に対して及ぼす破壊的な作用という意味で「暴力」という一つの概念に含め、その作用の仕方によって「直接的暴力」「構造的暴力」「文化的暴力」と名付けた。その全体が「暴力」。

 以上はもちろん、定義問題である。ただし、誰も、何の用もないのに定義に手をつけたりはしない。どうして暴力を再定義したのか。それは、「構造的暴力を問題にしなければならない」「文化的暴力を問題にしなければならない」と価値判断したからだ。これは、たとえばガルトゥングの価値判断であり、その定義を有用であるとみなす人たちの価値判断だ。

 逆に、「私は、直接的暴力のみをさして、暴力という言葉を用いるのだ」と言い張る人は、価値中立的な態度で定義問題に答えているわけではない。それは、「構造的暴力は問題にしない」「文化的暴力を問題にしない」、あるいは少なくとも、「直接的暴力の問題より劣る問題である」との価値判断を下しているのと同じ。それをイデオロギーと言う*1。「流血の有る無しというレベルのことをまず問題にしている」というのは、それ自体がNaokiTakahashi氏の価値判断なのだ。


 このように述べるならば、「そのとおり、まず、流血の有る暴力こそがより大きな問題」と開き直るだろうから、それほど単純な問題ではないことを述べておく。たとえば、kurahito氏が「店舗破壊とシュプレヒコールは同じか?そんなわけはない」などと述べていたけれども、この例示自体が、「直接的暴力こそがより大きな問題」とする偏見から作られたものだ。たとえば、toled氏に対してふるわれた暴力(直接的暴力)と、マジメに地域社会の中で暮らしてきた人間をフィリピンへの強制送還すること(構造的暴力)と、両親が強制送還されるという苦境にあって日本に一人残った女の子を的にして繰り広げられた排外主義デモ(文化的暴力)と、いったいどういう基準で比較したのか。どれがより酷い暴力か、などと比較しうるものではないことはすぐにわかるし、なにより、そのように比較すること自体が問題ではないか、普通に考えればそこに思い至る。kurahito氏の例示は、一見して重大な直接的暴力といかにも問題の小さそうな文化的暴力を、恣意的に選び出して比較しているだけである。

 暴力の重大性の違いは、もちろん、ある。平手打ちよりは「ナイフで一突き」の方が重大でしょうよ。ただし、それは暴力の形式(直接的であるか、構造的であるか、文化的であるか)で決まるのではない、ということ。

 一点、強調しておく。僕は「構造的暴力や文化的暴力の方が、直接的暴力より重大だ」という主張をしているのではない。「直接的暴力が、常に、構造的暴力や文化的暴力より特に問題である」という主張に反対しているのだ。「そうとは限らない」と述べているのだ。さらに、「その比較は困難である」と述べている。*2


 で、マッキノンについて。マッキノンの主張を「ポルノが害を惹起するのではなくて、ポルノ自体が害なのであると言う」と要約することについては、僕は同意する。先に述べたことに即して言えば、マッキノンは「ポルノは文化的暴力だ」と言っているわけだ。これは少なくとも、そう簡単に否定できる主張ではない。

 マッキノンと袂を分かつとすれば、ポルノが文化的暴力で「も」あることは仮に認めるとしても、それに対して規制という手段が取られるべきか、という点ではあろう。その点を問題にするならわかる。しかし、「ポルノ自体が害なのである」という記述を頭から否定できると思っているなら、そりゃ、表現というものに対してあまりにも脳天気に過ぎるでしょう。表現は、暴力でありうるにも関わらず規制しない、「表現の自由」を守るとは、そういうこと。その前提を明らかに踏まえずに、「表現の自由」を口にする、何の冗談かと思う。……逆に言えば、表現者のその脳天気さが、「表現における蹂躙の自由」を野放しにし、調停を一層困難なものにしている。このことも、何度も指摘されているとおり。


 最後に述べておくと、僕は「正しい暴力」とは言わない。ある暴力がふるわれたときに、私たちの側に、それを非難する資格がないことはある。そういう意味のことは何度も繰り返し述べてきた。*3

追記

 TB来たので、追記。

それは、暴力以外も問題にしよう、という話であって、だから暴力の概念を拡張しよう、という話にするのは論理的におかしい。

普通は、詐欺や横領や脱税は非暴力犯罪とカテゴライズされる。詐欺や横領や脱税を規制するために、詐欺や横領や脱税を含むよう暴力の定義を拡張する必要はないだろう。だからブコメでもたずねている。「なんで暴力って呼ぶ必要があるの?」
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091009/p1

 「暴力犯罪」でググってみよう。>http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/10/nfm/n_10_2_1_2_1_3.html

ここで,暴力犯罪とは,暴行,傷害・同致死,脅迫,恐喝,兇器準備集合,殺人,単純強盗および強盗致死傷・強盗強姦をいい,さらに,前五者を粗暴犯,後三者を凶悪犯と呼ぶこととする。なお,恐喝と強盗は,財産犯としての一面を持っているが,暴力犯罪としての性格が強いと考えられるので,本項について,説明することにしたい。

 脅迫、恐喝、強盗も「暴力犯罪」なんですが。で、「部落出身者であることをばらすぞ」と言うのは脅迫罪になり、それを元に金品を要求すれば恐喝罪や強盗罪になるようです。刑法はむしろ、構造的暴力や文化的暴力を問題にしてるように見えますが。

 もちろん、排外主義デモを取り締まる法律はありません(法律で取り締まるのが望ましいかどうかにも議論の余地があります)。しかし、法律が構造的暴力や文化的暴力を問題にしてない、と言い出すならトンデモじゃないですかね。

 しかし、NaokiTakahashi氏は「排外主義は(暴力としてではなく)排外主義として問題にするしかない」と度々いうのですが、それって、どのように問題にすることなんでしょうか?まさか、「排外主義は排外主義だからダメなのだ」とは言わないでしょう。それが人の生を傷つけ、破壊するからこそ、それを問題にすると述べるのであって、そこで「暴力とは述べない」ことにこだわる理由が何かあるんでしょうか?それこそ瑣末な定義問題に過ぎないのですが。


 ついでに、マッキノン云々については、NaokiTakahashi氏はマッキノンを読んだとは言うものの、その議論を内在的に検討して批判しているわけではありません。「周回遅れ」もなにも、あなたがトラックを走ってるところを見たことがないのですが。という話。

*1:もちろん、「暴力」は「直接的暴力」のみの意味で用いて、「構造的暴力」に何か別の名前をあてて、やはり問題にしているのだとすれば、それはまさに「価値中立的な態度」で定義問題に答えていることになるかもしれない。しかし、そうであるならば、その人自身が「定義問題に過ぎない」問題に拘泥していることになるだろう。どちらでもお好みの方をどうぞ。

*2:特に、個人間比較はとても難しい。ということは、経済学における常識。だから、個人内比較に即して言うならば、小さな直接的暴力よりも重大な構造的暴力、文化的暴力を想起することは、誰にとっても容易なことである。

*3:僕のアプローチとは違う方向からの、もっと気の利いた反論。> http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20091008/p3