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尊厳死言説を懐疑する(1)──リビング・ウィルにインフォームド・コンセントはない

 昨日(3月3日)、尊厳死と医療を考える集会「尊厳死ってなに?」@大宮に参加してきた。シンポジストのajisunさんからもレポートが出ている。>大宮@尊厳死ってなに?
 この問題については(も)論点が多岐にわたるので、一つずつ取り上げていきたい。今回は表題の点について。まずは、日本尊厳死協会の会員がサインするリビング・ウィルの内容から。

 リビング・ウイルとは、自然な死を求めるために自発的意思で明示した「生前発効 の遺言書」です。その主な内容は
  ○ 不治かつ末期になった場合、無意味な延命措置を拒否する
  ○ 苦痛を最大限に和らげる治療をしてほしい
  ○ 植物状態に陥った場合、生命維持措置をとりやめてください
というものです。
http://www.songenshi-kyokai.com/dwd02.htm

 「まぁ、妥当な内容じゃない?」と思うかもしれない。しかし、一度立ち止まって考えて欲しいのだが、「植物状態」あるいは「脳死状態」、「不治かつ末期」、こうした状態が一体どういう状態であるのか、私たちは分かった上で同意しているのだろうか?


 植物状態(最近は遷延性意識障害、と言われたりするが、あえてそのままで)と脳死状態について。この状態が一体いかなる状態なのかは、実は正確なところはわかっていない。「意識がない状態」とよく言われる。これも分かったような分からないような話だ。ここでも二つほど注意が必要だ。第一に、本当に意識がない状態かどうか分からないということ。長期の植物状態から回復された方で、ベッドサイドの会話を全部聞いていたという報告はいくつもある(参考:植物状態だった男性が意識回復「周囲の会話は全部聞こえていた」*1)。話すことを含め能動的な働きかけが一切できない状態で(自分の)「栄養チューブを外そうか」というような会話を聴くときの気分を想像してみると、ちょっとこれより怖い状況はなかなか思いつけない。(他にも、一口に植物状態といっても、遷延性以外にいろいろあるようです。本エントリ末尾の「追記」参照。自分も要勉強。)

 また、脳死状態とされた人についても、同じく分かっていないことが多い。

・・・情報公開の時代にあっても、そもそも脳死者に関する基本的な事実があまり知らされていないという問題がある。脳死者とは、仮に全脳の機能が不可逆的に停止していようとも、心肺機能が保持されており、そのため体温を維持している。また、汗も涙も流し、妊婦であれば出産もする。脊髄が機能しているため脊髄反射を起こし、ベッドからとび上がることもある。時にはラザロ徴候という四肢の複雑な自発運動を示す。すなわち、両足が自転車をこぐような回転運動を呈し、両手がベッドから上がって胸の前で祈るように手を合わせて、ふたたび胴部の脇に戻るというものである。止められた人工呼吸器のチューブをつかむようなしぐさをすることもある。こうしたラザロ徴候は、長い場合には数日間も続く。以上のような実相を有する脳死者がとくに肉親の場合、はたしてそれを死者と認められるのだろうか。そして、さらに熟慮すべきなのは、脳死・臓器移植では、こうした者から拍動中の心臓などが摘出されるという現実である。
市野川容孝編『生命倫理とは何か』(asin:4582702422)所収、小松美彦脳死」、p.91)

他にも、脳死者から臓器を摘出しようとすると血圧上昇する、というのがある。血圧調整機能は脳幹にあるので、これはつまり、脳死=脳幹死の判定が誤っていた可能性を示唆する。誤診の可能性もあるのだ*2。その他、様々な問題が指摘されているが、一般の人はこうした事実をほとんど知らない。・・・他にも知られていないことは多々あるが、今回は取り上げない。とにかく、私たちのほとんど(尊厳死に賛成する一般市民のすべてと言ってもいい)は、尊厳死に賛成する前に知っておくべき重要な事実を知らない。


 ここからajisunさんの次の発言につなげる。

・・・一般的には、たとえ「植物状態」になったとしても出来る限り治療を続けてください、とはゼッタイに言わないだろう。反論を逆手にとるかのように、荒川氏はリビングウィルの選択肢に「植物状態になっても延命を望む」という項目を入れることを検討中という。だがそれこそ、わざわざそこに○をつけるような人は尊厳死協会に入らないだろうし意味がない言い逃れだ。そんなことでは個別性に配慮しているとは、到底考えられないのだからだまされないで欲しい。
http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20070304

ここで荒川氏(日本尊厳死協会副理事長)が検討している「リビングウィルの選択肢に「植物状態になっても延命を望む」という項目を入れること」には、何の意味もない。項目が増えようと何であろうと、それらの選択肢から何を選ぶにしても、それは正しい知識、少なくとも現状知られている知識を踏まえた選択ではないからだ。日本尊厳死協会がなすべきことは選択肢を増やして取り繕うことではなく、「植物状態、脳死状態というものがいかなる状態であるのか」を欺瞞なく包み隠さず広く世間に知らしめる啓蒙活動である。正しい情報と理解の上にリビングウィルへの署名(尊厳死への同意)を置くこと、インフォームド・コンセントをきちんと守ることなのだ。どうしてこの点について口をつぐんだままであるのか、理解できない。

 元気な私たちは(あるいは元気ではなくても植物状態でも脳死状態でもない私たちは)、植物状態・脳死状態になった可能的な私のことを知らない、という当たり前のことを再確認しておこう。そして知らないのだから、まずは知ること・知ろうとすることが先に来るべきであって、知りもしないのに簡単に自分の/他人の死に同意してはいけない。つまりは、尊厳死言説に賛成だのなんだの言う前に、知るべきことが山ほどあることを知っておこう、ということだ。


【追記】

植物状態とは疾患名ではなく、意思疎通ができなくて自律的に動けない全身状態で言うのだから、脳血管性疾患も痴呆も遷延性もALSも一緒くたになっている。しかし、それぞれケアの方法は違っているし、内面はかなり違う。遷延性には治癒の望みがあるし、ALSは自意識があり、脳血管性は治療法が開発されて治癒率もあがっている。
http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20070304

 「植物状態(=遷延性意識障害)、ALS、痴呆・・・」という並び方かと思ってたのだけど、「植物状態(=意思疎通ができない状態)={遷延性意識障害、ALS、痴呆、・・・}」という並び方なのね。・・・こういう細かい用語法レベルにさえ混乱がある。


脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)

脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)

脳死の人―生命学の視点から

脳死の人―生命学の視点から

*1:リンクが切れたときのために引用。「交通事故で植物状態になっていた男性が、2年ぶりに意識を回復したそうです。」、「この男性は4児の父。内外の専門医を転々としたが、「回復不可能」と診断された。しかし、本人は「医者が『患者の意識はない』と話すのも聞いていた」という」、「意識が回復した男性が話したことによると、なんと周囲の会話は全て聞こえていて、「栄養チューブを外そうかという声が聞こえ絶望的な気持ちだった」や「医者が『患者の意識はない』と話すのも聞いていた」などと語っているそうです。」

*2:ついでに、経済学的に言えば、臓器移植に持ち込みたい医師、医療費を抑制したい行政の中には、こうした誤診を行う/黙認するインセンティブが存在することになる。