育児の事、「結局カネの話ではないのか」
書いて置けよ、わかるように@北沢かえるの働けば自由になる日記
まずごめんなさいって、それからだよ@S嬢はてな
好きで注意してるんじゃないが、でも彼らからみれば私はただの抑圧者@kmizusawaの日記
関連して、「怒らないで下さい」と彼女は言った、「怒らないとわからない」と彼女は言った@Backlash to 1984 も。
今の日本では、保育その他の具体的な子育て支援サービスは完全に手薄。経済的負担を中心に何もかもが「第一義的には親の責任」として位置づけられている。障害があろうとなかろうと大変だ。ADHDなどの難しい要素を持つ子なら尚更。そのような中で、親御さんの疲労も本当に大変だと思う。kmizusawaさんのとこの次のコメントが印象的。
わたしの知人のADHDのお子さんを持つ人の話なんですが。
公園にいて、いたたまれない思いをしてその場にいられなくなって、そのまま帰るのもつらくて、市民センターのようなところにふらりと立ち寄った、という人がいます。
図書コーナーでぱらぱらと雑誌を読み、子どもが駆け回っていたけれど、もう何もかもどうでもいい気持ちだったと。
そして、さあ帰ろう、と、気持ち切り替えて帰った、と。
似てるケースだな、と思いました。(id:satomiesさんのコメント)
かえるさんやkmizusawaさんたちが経験するような衝突はほとんど必然的に生じた、としか思えない。もちろん、不幸な衝突を減らすためのよりよい対応への努力はなされていい。てゆーか、そんなこと言われなくても実際にトラブルに直面して切ない思いをしている人たちは真っ先にそう考えることだろう。それを伝え聞く私たちの位置で考えるべき事は別にある。「第一義的には親の責任。その次に周囲の人たちの思いやり」、問題に対応する責任を近くにいる人たちに限定する発想、裏返せば、近くにいない人たちを責任から切り離してしまう発想自体を、一度問いなおす必要がある。だからまずは、日本における育児支援の貧困さに思いをはせるべきだと思うのだ。そうした支援の体制がきちんとあって、それを財政的に支えるという形で、ここで生じている重荷を多くの人で広く薄く担う、ってことはできるのだ。そういうことを考えるための、たとえば次の一冊(まだ読み終えてはいないのだが)。

社会で子どもを育てる―子育て支援都市トロントの発想 (平凡社新書)
- 作者: 武田信子
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