『美味しんぼ』問題で明らかになったこと
「美味しんぼ」が明らかにした論点は、鼻血が科学的にどのような意味を持つかという点だけではない。
行政が、自覚症状の訴えに関する系統的な調査をまったくしていないこと。そもそも、がれき焼却にせよ低線量被曝にせよ、危険性を明らかにするような調査は原理的に困難であること。そのことを承知の上で、がれき焼却を強行し、除染の効果を検証もせず、性急に汚染地域への帰還を推し進め、汚染食材の流通を野放しにする等していること。これらの重大事項が、「美味しんぼ」で紹介されている大阪の母親たちの聞き取り調査の方法論に関する科学的な批判と同列に並べて良いものかどうか、真剣に考えるべきだ。
僕は大阪のあの調査を根拠として何か科学的な主張をするつもりは、少なくとも当面はまったくないけれど、しかし、あの調査の不十分さを批判する資格のある人間は、少なくともこの日本にはいない、このことは断言する。仮に批判をするならば、その数百倍の手間をかけて政府を批判する責任が生じるはずだ。
そして、そもそも、僕の記憶が確かなら、あの調査は「直接的に放射能の危険性を証明するものとして」というよりは、「行政の責任によって科学的に適切な調査をするように求めるための根拠として」提示されてもいたはずだ。つまり、ちゃんとした調査が難しいことは、調査に関わった母親たちの大半は承知している。
この要請について真面目に考えたら、有効な調査は行政にとっても困難なことは明らかだろう。で、それならば、なぜ焼却を強行したのか、という問題になるはずだ。大阪の母親たちの調査が直接に被害の証拠と結びつかないことのみをもって全否定する態度は、それ自体、非科学的ですらある。つまり、あの調査は、科学的な「答え」をもたらすものではないとしても、科学的な「問い」をもたらすものではある。
そして、科学的な主張を言うなら、大阪府市の言う「安全性に問題はない」には「国の基準の範囲内だから」というトートロジカルな根拠しかなく、その意味でまったく非科学的であるのも明らかだろう。
この問題は、断じて「どっちもどっち」ではない。科学の悪用ないし誤用の問題。そして「御用」の問題。