モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

botaroさんに答える

 この間、僕の考え方も微妙なところで右往左往しているし、擁護するとしても可能な複数の位相で弁護が可能であるからそれらの間をやはり右往左往しているし、新しく知ったことや思い出したこともありながらやはり言うべきことの微調整みたいなものもしている。昨日のエントリへのbotaroさんのコメントに答えることは、それらを一旦整理するのに良い機会だと思われたので、それを利用させてもらうことにします。

従軍慰安婦問題に話は戻りますが、まず批判することなく冒険的なコミットをする人が必要である、という指摘は素直に感銘を受けました。ただ、「被害者から事情を聴取しなければならないとき」とされる通り、そのような冒険的なコミットが必要となるのは、真偽が明らかになるまでの空白期間において、という理解でよろしいですよね。

 真偽が明らかになるなら、コミットは冒険的じゃなくなりますものね。ただ、「明らか」というのは、太陽が東から昇って西に沈むというような意味での「明らか」ではないですから、歴史修正主義者のような人たちが現れて、かつその発言を信じたいという土壌も確かにあって、ゆえに「明らか」さは常に危機に晒されることになります。ですから、納得ずくでコミットしている(そして、そうして構わないと思える)人に対してすら、「冒険的なコミットでしかなく、そして騙されている」とするレッテル貼りは常になされています。それともう1つ、個々人の問題に関する知識の多寡はどうしてもあるし、それを増やすためには時間と労力がいりますから、個々人レベルでやはり冒険的なコミットが残る場合はたくさんあるでしょう。たとえば、従軍慰安婦問題の歴史学的な研究成果について必ずしも詳しくない人が、様々なレベルでボランティアとして関わることはあるでしょう。「この人が言うことだから」というような理由でのコミットは、僕の知る限りあらゆる社会運動の中に見られます。実際、転倒した話に思えるかもしれませんが、「支援が忙しすぎて、問題を知的に把握するための時間が取れない」という人はいくらもいるのです。それはもちろん危ういコミットではあるのですが、誰も好き好んでそういう状態に甘んじているわけではないわけで、誰かがそこに参与して実働的な仕事を一緒に担えば、そういう勉強をする時間がもっと取れるかもしれませんといった類の問題なのです。

 従軍慰安婦問題は有無を含め両論あり未だ未解決の空白期間といえそうですが、少なくとも賠償に関する部分については既に否決という決定がなされており、空白期間は終わっているとみなせるでしょう。

 みなせないと思います。法廷が下した決断が正義に適っているかどうかは、最終的には外の世界の判断に委ねられます。正義に適っていないと判断されれば、法廷外での活動が行われるだけのことです。アメリカのロドニーキング暴行事件においては、暴行を加えた白人警官の無罪判決は、物事の終わりというよりむしろはじまりでした。

心的外傷に関する(もしくは歴史に関する)学究的立場から、冒険的なコミットをするというのなら、論説される通りの意味ある行為であるといえると思うのですが、例えばバウネットのような組織は学究の徒ではないですよね。もっと言えば、特定の政治的目的のために、救済の皮を被った奴らが、彼女達被害者を利用しているのではないか、という疑念が拭い去れないのです。そうだとすれば、被害者達は二重に被害にあっていることになる。

 まず、コミットするにあたって、学究であるかどうかは関係ないと思います。誰にでもコミットする責任はあるし、誰でもがコミットしてよいはずです。VAWW-NET-JAPANと被害女性たちの関係ですが、まず、そのように言える根拠を僕は知らないので、なぜそのようなことをおっしゃるのかがまず不思議です。VAWW-NET-JAPANは特定の政治目的をもちろん持っていますが、その目的というのは女性に対する暴力一般を問題化することであり、それが被害女性を無視する類の目的だとは僕は考えていません。


 以下、botaroさんのコメントの中で、僕がもっとも重要と考える点について、独立したエントリとして答えます。