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「いつも「疑問だ」といいながら真実に興味がない」人たち

 先日の中学生暴行事件の被害者が告訴を取り下げた。事件発生当初に被害者の落ち度を語っていた連中が、今度は、米兵の冤罪を言い出している。関連して、「中学生暴行事件の告訴取り下げの件」(@風のはて)という記事で、地元紙から引用されているので、ここにも孫引く。

琉球新報紙面3/1付朝刊より。

被害者が告訴を取り下げた要因の一つに、報道被害を指摘する捜査関係者もいる。一部週刊誌は事件発生の数日後、取材のため被害者宅を訪れた。ある県警幹部は「被害者の家に言ったのはどこの会社だ。被害者は自宅が特定されたことなども含めて不信感を抱いている」とあからさまに怒りを見せた。

 その週刊誌で被害者をおとしめるような表現があり、被害者は精神的に追い込まれた。

 以前も述べたように、米兵に関して法治主義を貫徹するためには社会運動が必要とされる異常な状況が先に存在している。地位協定のためだ。反基地、反戦の「イデオロギー」とやらが癪に障るという連中*1は、自分こそが率先して地位協定改正を主張しないのか。日米安保が重要であると主張する連中*2は、自分こそが率先して地位協定改正を主張しないのか。

 まったく、こういう連中は、もっとも醜悪なタイプの「左翼」*3となんら変わるところはない。「反基地、反戦」が「反「反基地、反戦」」になっただけで、やっていることの程度はまったく同じである。──今時は、「サヨク」といわれるより「中道」と呼ばれる方がよほど恥ずかしい。まして、「自称」なんて、とてもとても。*4


 思えば、従軍慰安婦のときにもそうだった。従軍慰安婦問題が争点化した当初(金学順さんが名乗り出た頃)、あの頃には確かに実証的に詰められるべき論点がまだたくさん残っていた、そういう時期はあった。しかし、その当時でも(証言者の証言を最大限否認するスタンスの人でも)主張可能であったことは、終戦時に日本政府が率先して資料の焼却・隠蔽を進めたこと、現に残っている資料についても公開をしていないこと、少なくともそのような政策方針は批判されてしかるべきであった。

 しかし、従軍慰安婦問題の懐疑派は、現在進行中の研究の、現在進行中であるがゆえに残っていて当然の課題をあげつらって不信感を煽るだけで、実証的研究を困難にしている当の日本政府の態度は一向に批判していなかった。その後、たくさんの証言が出てきてもなお、「証言だけでは信用できない」と言い張りつつ*5、やはり日本政府の資料公開への消極姿勢はまったく批判されない。


 つまり、こういう連中というのは、「いつも「疑問だ」といいながら真実に興味がない」*6。空っぽなのだ。ただ、真実や中立や公正にこだわるポーズを取っているだけだ*7。こんな連中に、想像しうる最悪の「左翼」に比べてマシなところが一つでもあるわけではない。──それを踏まえて考えるならば、こういう連中が守りたがっているのは、少なくとも、真実でも、中立でも、公正でもない。それが何であるとしても、堂々と掲げることはしていない*8、彼らの心の中にある別の何か、と言うしかないだろう。

*1:id:yousanotuとか。

*2:花岡とか。

*3:言うまでもなく、それは「左翼」のすべてではない。

*4:もともと、自分で「左」の自覚などない。ないのだが、しかし、誰からか「左っぽいよね」と言われたのが最初。とりあえず右ではないことに違和感はないけれども、左と言われてもなぁ、という感じはする。しかし、「右でも左でもない」という人たちと同じに分類されるよりはマシだと思ったので、もう左でいいよ、という感じ。正直どうでもいい。余談だが、この間は「ネオリベ」と評された。これもある意味ではあたっている。まぁ、もう、好きにしてくれ。

*5:そのような言い張り方も、素朴に過ぎてどうかとは思うが、ここでの批判は、それと別の話として。

*6:id:tano13さんによる表現をパクりました。

*7:ああ、あの某新聞と同じじゃないか。

*8:しかし、透けて見えてしまっているようにしか思えないのだが。