モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

お金のない人に財やサービスを届けるにはどうしたらいいのか

 Arisanさんとこのコメント欄より。

いま現実にワクチンが存在するのなら、それが安価でもしくは無償で多くの人の手に入るようにすればいいではないですか。

あなたがおこちゃまでないならば理解できるとおもいますが、そんじょそこらの風邪薬とちがって強力なワクチンを開発するにはそれだけ膨大な研究者のマンパワー(開発研究費)を必要とします。開発にせいこうしたらそれらがペイする状態でないとそもそも医療会社やロックフェラー財団はそれらのワクチンの開発すらとりかかれません。ということは、貧しい人たちへワクチンが届くチャンスがそれだけ遠のきます。
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070901/p1#c1189143571

 natamaruさんが言っていることは、半分くらい正しい(というより、経済学的分析に基づいた提言というのは、それが斜に構えた救命ボート的現実主義を抱えている限り、いつでも半分以上まちがっている)*1


 市場というのは、つまり、「お金を持っている人が欲しがるものを効率的に提供する仕組み」であるから、お金を余分に持っている人から取り上げて、必要な人(食糧が、医療が、介護が、といった基本的ニーズに関わる財へのニーズが充たされていない人)に渡せばいい*2。財源はどうするのか、市場全体から定率税で取ればいいんじゃないでしょーか。消費税でも所得税でも、基本的には同じ。

 こういうことを言うと、「課税が非効率を発生させて、経済成長や技術進歩を停滞させて」うんたらかんたら、という話が出てくるんだろうけど、それは話をはしょりすぎ。確かに、所得税を課せば、賃労働に従事する誘因は弱くなる(代わりに、不払労働+余暇に時間を使う誘引は強くなる)。つまり、所得税(ないし消費税)を高めた分だけ、賃労働によって担われている研究開発に従事する誘因も弱くなる。それゆえ、研究開発も遅くなり、薬が開発されるのも遅くなる。──これってホントかよ、と思うけど、とりあえず後回し。仮にそうだとしても、って話を先に考える。

 開発されるのが遅くなるとかなんとか言ってもさ、そもそも手に入らない人にとっては関係ないわけよ。早くても手に入らないなら意味がないわけで、遅くても手に入る方がずっとマシだとすれば、研究開発が遅くなるのくらいは別にどおってことないように思える。──つまり、この政策で損をするのは、「再分配がなくても薬が買えた人たち」なわけで、それはつまり富裕層が損をする、ってことだ。それは少なくとも、貧困層にとっての問題ではない。(ただ、後で言うように、この意味で富裕層が損をする、ってのも、嘘くさい。)


 さて、「研究開発が遅くなる」ってのは、一体どの程度のものなのなんだろうね。これがなんとも分からないけど、考えてみよう。

 研究開発に必要なものは、あらゆる生産に必要なものと同じく、基本的には労働と資本。まず労働から考えよう。私たちの毎日の時間は、労働時間と労働以外の時間(余暇と不払労働)に振り分けられる。労働所得税は、このうち、労働時間に対してのみ課せられる。とすると、人々は、労働時間を減らして、労働以外の時間を増やすことになるわけだ。その分、研究開発に従事する人が減って、研究開発は多少遅くなるかもしれないね。

 しかし、研究開発ってのは、一番にしなければ意味がないだけに(Winner take all)、少々課税されたところでやる気をそがれるとは思えない。ただ、貰えるものが少なくなるなら、研究者になろうって人が減って、その分競争が減り、その分研究が遅れるってのはあるかもね。(ただし、「貰えるものが少なくなるなら」ってとこ、注意。)

 次に、資本の方を考えよう。実は、資本の方は逃げ場がない。どこに投資しても、そこであがった収益には、同じだけ、課税される。だから、薬品の研究開発に対する投資が減る、ってことは、ない。他方、薬品を必要とする人に所得分配がなされているならば、薬品市場はその分拡大していることになるわけで、非製薬産業への投資が減って、製薬産業への投資はむしろ増えるはずだ。これは当然、非製薬企業に就職する研究者への給与を減らし、製薬企業に就職する研究者への給与を増やす。すると、「貰えるものが少なくならない」のだから、研究者のやる気は前より増すかも。かえって研究が進む、と考える材料は結構ある。だとすると、先ほど「再分配なしでも薬を買える富裕層は研究開発の遅れによって損をするかも」と言ったけど、それも成り立たない。まぁ、当然だな。

 つまり、損をするのは、病気になってない人。得をするのは、病気になっている人。そういうシンプルな話のはず。元々再分配ってのはそういう話なんだから、どこにも問題はない。大事なポイントは、貧しい人に必要な財を提供するための負担を、製薬企業だけに負わせてはならない、という点だ。製薬企業に「開発利益を手放せ」と言うようなやり方をすると、製薬企業なんて成り立たなくなる。負担は、逃げ場がないように市場全体をあまねく覆うシステムで課すのがいい。


 ただし、その延長線で考えていくと、先の話は、実はハッピーエンドには、(まだ)ならない。というのは、労働も資本も、「課税されない別の国」へ逃げて行くことができるなら、その可能性があるからだ。ここが悩ましいところ。──しかし、少なくとも資本や高度な技術・知識を持つ労働力が流れ込む先である先進各国が協調して、横並びで税を課すならば、資本も労働も逃げ場はなくなる。まぁ、オフサイド・トラップみたいなもんだね。これは簡単ではないが、少なくとも単純な話だ。だとすれば、各国政府が富裕層や資本の利害を代弁するのではなく生きているすべての人のための政府であると自覚しているならば、サミットでの最重要課題の少なくとも一つは、税制における政策協調のはずである。各国政府が全然やる気なさそうに見えるのは、ひとえに、私たちの不甲斐なさのせいでもあるね。「真面目にやれ」ともっと政府に向かって言わないと。

 とまぁ、こういう話をすると、すぐさま「政府の失敗」とか言いたがる人もいるわけだけどね。しかし、「政府の失敗」と念仏みたいに唱えるのは、「オルタナティブな世界は可能だ」と念仏を唱えるのと何も変わらない。ただ、「政府の失敗は避けられない」という前提で「諦めろ」と言ってまわるよりは、「可能だ」という前提でその方法を考える、という方が、ずっと建設的な感じはするね。だから、言っておこう。──「簡単で別の姿の世界」*3は可能だ。可能だと思えない奴は黙るか、さもなければ「貧乏人は死ね」と本音で語れ。

自由の平等―簡単で別な姿の世界

自由の平等―簡単で別な姿の世界

貧困と飢饉

貧困と飢饉

*1:まぁ、まちがっている、の意味にもよるけれど。とりあえず、貧しい人や病人に向かって「死ね」といわない限りは、まちがっている、って言えるだろうね。

*2:余分に、というのは、ここでは少々大ざっぱに済ませておく。生物学的条件(死なない)を充たしているのは当然のこととして、加えて、その社会での社会参加に必要な標準的生活必需品セットを持ち、それ以上を伺っている人たち、とでもしておこう。関心のある向きは、アマルティア・セン『貧困と飢饉』の第二章「貧困の概念」あたりをどうぞ。

*3:by 立岩真也@『自由の平等』。