モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

戦略的不信心

 ↑のような屈折した物言いをなぜするのか、という人が多分いると思います。種明かし、というわけじゃないのですが、説明を。

 辺野古のニュースを聞きながら、それでも行動を起こさない人達の常套句というものは、「どうせ変わりはしないのだから」という言い草です。こういうことを言う人は、障害者の介護保障の問題でも、イラク戦争でも、国旗・国歌問題でも、靖国参拝についても、ホームレス問題についても、あらゆる場面で同じ態度をとりがちです。勝利を信じられないから行動を起こさないのだ、と。そう言うわけです。しかし、それは明らかに嘘でしょう。

 本当の理由は、それが面倒くさいから。勝利を信じないこととそれでも行動することは両立します。行動しない人は、ただしないからしないだけなのです。なぜ勝利が信じられないなどという言い訳をしなくちゃならんのか。その過剰な理由づけはどこからくるのか。それは、ただのフリーライダーのクセに、それでも行動しないことが何か合理的な思考に支えられているのだという印象を期待するような、そういう外面だけを取り繕う浅ましさでしょう。それは本人すら自覚していない本能的な浅ましさです。

 僕は実のところ、辺野古のシンさんの「絶対勝利できるぞ!」という言葉に、とても胸を打たれています。冗談ではなく。しかし、それを信じるから抵抗するのだ、という理由付けはどこかズレているとも感じています。そして、その言葉を信じたりしなくても、抵抗する動機も、抵抗すべき理由も、ちゃんとある。そのことはいつでもどこでもすぐに忘れ去られるから、何度でも確認しておく必要があります。とりわけ、「信じる人が行動する」というイメージの影で「私は信じないから行動しない」という正当化がはびこらないように、その構図自体をあらかじめ壊しておくことが必要だと感じています。だから、僕は決して「信じる」ことを戦う理由にはしないのです。