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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

政府の仕事、民間の仕事

 「橋下知事は被害者を見捨てるつもりなのか?」に関連して。


 最初にハッキリ書いておく。政府のやるべき仕事とは、民間にやらせれば赤字になるしかない、しかしそれでも必要なことを、赤字を出しながらやることである。この赤字を支えるのが、税金である。事業としての収支で赤字であるかどうかは関係がない。──ドーン・センターを廃止するかどうかを考えるならば、ドーン・センターが果たしている役割の一つ一つを、ちゃんと評価して、その果たしている役割よりも赤字の方が大きい、という説明をしなければならない。たとえば、DVに悩む女性の相談を受けて、必要な支援を行う一連の仕事に対して、それを「○○円」と評価した上で、それらの合計が、センターの運営赤字よりも小さいから廃止、というような理屈を言わなければならない。重ねて強調しておくが、事業としての収支が赤字であるかどうかは、この文脈ではまったく関係がない。


 逆に、仮に政府がやって黒字が出ている事業があるのならば、それは民間にやらせればもっとうまくやれる可能性が高いのであるから、民間にやらせて、その民間の事業体にしっかり課税すればいい。*1──「民間にやらせれば赤字になるしかない、それでも必要なこと」について、もう少し述べる。金持ちの肩揉みをするのと、貧乏人の病気の看病をするのと、どっちが儲かるか。言うまでもなく、金持ちの肩揉みに決まっている。そして、それは民間企業でもできる。貧乏人の看病は金持ちの肩揉みよりもずっと高い優先度が与えられるべきであるが、民間企業は、必ず「肩揉み」を優先する。それが民間企業というものである。ここで、道徳主義的に、たとえば社会的責任(CSR)などと言って、「貧乏人の看病こそをするべきだ」などと言っても意味がない。


 そりゃあ、消費者のご機嫌取りに、宣伝広告として有効であると認識される範囲で、そういう「社会事業」を行う企業もあるだろう。しかし。それは宣伝広告として有効であると認識される範囲でしかなく、病気のまま放置される貧しい人々をこの世から一掃しよう、という情熱とはまったく無関係のものである*2。それはほどほどにしかなされない。──ほどほどにでもなされれば、まだマシである。たとえば、教育現場に乗り込み、自社の食品がいかに栄養学的に優れた食品であるかという、広告宣伝ですらない虚偽を放言してくることをもって「教育支援事業」と称していた企業もある。営利企業とは、どこまで行っても営利企業でしかない。


 私たちの社会をここ10年ダメにし続けているのは、府を「投資会社」に喩えたりするようなセンスであり、そんな奴に票を投じるセンスである。その結果、割を食うのが、こんなセンスを持った愚か者であるならば、それはそれでいいんじゃないかとは思うが、そうではない。割を食うのは、そういうセンスの持ち主かどうかとは関係なく、様々な理由から弱い立場にいる人たちである。──今の日本は、バカが弱者をひき殺す社会、ということだ。これは、その社会に住むすべての人間にとっての恥である。

株式会社に社会的責任はあるか

株式会社に社会的責任はあるか

*1:ここはちょっと追記。そもそも、先に述べたことからすれば、「政府が黒字を目的とする事業をやる」こと自体がおかしい。

*2:追記。別の意味での情熱、つまり、そういう「現象を」一掃しようという情熱はないのだが、「人々を」一掃しようという情熱がしばしば垣間見られる。恐ろしい社会だ。