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台湾社会の政治空間

 実は、先週1週間ほど、台湾に滞在してた。わけあって恒常的な交流がある人たちなのだが、その付き合いの中で感じた、台湾に暮らす人々の政治空間について。僕の経験に限られたものだ、という点はとりあえず各自でご注意を。*1


 とりあえず、まずは、メディア。
 ともかく、量が圧倒的だ。台湾ではケーブル・テレビが主流だそうで、たくさんのチャンネルの中にニュース専門チャンネルがいくつかあり、一日中ニュースを流している。内容は、新たに流すものがない限りは同じものも何度も流れるので、毎日一度、見られる時間に見ておけば、だいたいの情報が共有できる。

 僕の見た範囲では、一回きりの放送をビデオにとって確実に視聴する、という文化はなく、どの時間帯に何が放送されているのか、かなり無頓着だ。ある番組を見ているというよりも、あるチャンネルを見ている、という感覚。

 さらに、これもチャンネルが多いためであろうが、この国には、取り繕われた「中立」が存在しない。この点が、実は、一番うらやましい。あからさまな国民党びいきのメディア、民進党びいきのメディアが並存しているのは言うまでもないが、なにやら占い師がごにょごにょ言っている怪しいものまで、実にさまざまだ。市民は、その中から好きなものを選んで見る。結局内容は玉石混交なのだが、これを量でカバーしている。

 好きなものを選んで見ているならば、自分の嗜好に合うものだけを見て、凝り固まるのではないか。そう考えるかもしれない。もちろん、そういう人もいるだろう。しかし、両方見たい人は、簡単に、両方見ることができる。実に簡単に。何せ、ニュースは一日中やっているし、繰り返し放送される。厳密に見ようと思わなければ、毎日風呂上りに歯でも磨きながらチャンネルをまわしている間に、一通り見渡すことができる*2

 日本の場合だと、自称「中立」のメディアが、その日一日の動きを分りやすく整理して加工したものを小一時間の番組のまとめ、私たちはそれを視聴する。これに対して、台湾の場合は、雑然と垂れ流される情報の中を自分勝手に泳ぎまわって、めいめい勝手に情報をつなぎ合わせて思考を形成する。喩えて言うなら、前者が定食だとすれば、後者はバイキングだ。料理なら、これらの形式の違いは好き好きでいいだろうが、「一人一人が自分の責任において思考すること」が政治の生命であるならば、どちらがよいかは明白なように思う。


 次に、そのメディアを視聴する人々について。
 とにかく、人々の政治的スタンスが明快だ。タクシーの運転手でも、聞けば国民党支持か民進党支持かを教えてくれる。「○○さんに入れてくれ」「やだよ」みたいな話も、あちこちでなごやかになされたりする。もちろん、険悪になされていることも多いようで、今回の大統領選でも、支持者同士の小競り合いがあったことが時々報じられていた。

 政治的スタンスが明快なのは一般市民だけではない。テレビに登場する芸能人も、「私は○○さん支持よ、だって彼は△△だもの」といった具合に、赤裸々に自身の支持を明らかにする。選挙運動のパレードなどに参加するケースもあり、その様子がメディアで報じられたりもする。

 実は、政治的スタンスについてこれほどまでにオープンな雰囲気ができたのは、ここ10年足らずのことだ。以前は「台湾では、国民党の恐怖政治時代の経験があるので、政治的な話題はタブー、それぞれの政治的スタンスを明らかにすることを求めたりするのはマナー上よくない」と、よく言われていた。だいたい李登輝が総統になったばかりの頃だろうか。それほど前ではない時代に、そういうことが命に関わるような時代があったわけだし。だが、今ではまったく様変わりしている。


 政治的スタンスの違いで不利益を被ることはないのか、と聞いてみた。たとえば仕事上の嫌がらせとか。聞いた範囲では「ほとんどないと思う」が「ないわけではないだろう」という話だった。でも、白色テロの時代、命まで危うかった時代に比べれば、ということなのだろうか。本当の本当に死活を握っている上司や取引先が相手なら難しいだろうけれど、それでもオープンにできるところではオープンにしている、ということなのかもしれない。

 こういう一人一人の人たちは、決して一人一人の日本人と決定的に異なっているわけではない。台湾人が受けてきた教育も日本人のそれも、それほど大きく違うわけではない。いわゆる、読書人が多い、というようなことでもない。出版文化は日本の方が盛んだし、それは書店を見比べても、その市場の違いは明白だ。日本の方が圧倒的に活字文化を消費している。

 結局違うのは、参加意識の高さ、主体性の水準でしかないように思う。政治に関心が強いのは必ずしも高学歴層や富裕層ばかりではない。それぞれの位置にいる人たちが、それぞれの位置にいる人なりに、自分の責任で考えようとしている。もちろん、政治に対して斜に構えた人は、どこにでもいるだろうが。しかし、その位置付けはあくまでも低い。


 別に、一つ一つの議論のレベルが高いとか、一人一人が賢いとか、そういうことではないのだ。実際、台湾社会も日本と同等以上にさまざまな社会問題を抱えているし、格差も広がっている。別に、台湾の未来は明るい、とまで言うつもりはない。けれども、すくなくとも言えることは、日本の政治空間の息苦しさとはあまりにも違っている、ということだ。第三者目線、自称中立、メタ語り、評論家的立ち位置、そういうものを見ることがほとんどない。この違いは一体どこから来るのだろうか。

*1:とりあえず、台北近郊の、中流〜富裕層の、本省人を中心に交友した範囲です。主に民進党支持が多いのですが、今回、謝さんに投票すると言っていた人はほとんどいませんでした。

*2:滞在先で、まぁ、実際、そんな風にして一緒にテレビを見ていた。といっても、僕は中国語がまったくわかりませんけども。