モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

口コミで広がるレイピストの論理

 こういう愚劣な記事を見るたびに頭痛がするのだが。

http://anond.hatelabo.jp/20080215043933とかその周辺の反応を見て再認識したのだけど、犯罪抑止・回避の論理と犯罪被害者保護の論理は往々にして矛盾する。前者を推し進めれば犯罪被害者をしばしば責める結果となってしまい、後者に重きを置きすぎると逆に犯罪を減らし被害を避けようとする努力を蔑ろにしてしまう。その困難から目を背けていては前に進めない。
http://anond.hatelabo.jp/20080216092044

 こちらの匿名氏が言うところの「犯罪抑止・回避の論理」は、犯罪抑止・回避になりはしない。第一に、誰が読むとも知れない僻地の匿名ブログに書いたところで、一体誰にまともに届くというのか*1。第二に、断固として被害者の誹謗を許さない、という態度が示されることは、それ自体が犯罪抑止・回避のための欠かすことのできない柱である。とりわけ、この第二の観点において、「抑止」論者の論理がまったく抑止になっていないことは明白なのである。

 むしろ、sk-44氏の記事に示されているように、それはレイピストの論理をなぞる、私たちの思考の前提に差し込んでいくことによって、犯罪肯定・支持の最悪の*2形式を取る。次の記事を参照せよ。>「性犯罪における言説――「自覚」すべきは誰か」


※さらに、より一般的に、この人物が用いているレトリックに触れておきたい。リンクした記事の最終節に「あえて「どっちが多数派」とか「どっちが正しい」とかいう話題にはしないけれどね」なる文言がある。これはおかしい。

 第一に。正しさが争われている場に絡みながら、正しさを話題にしないと言うのである。これは文字通りに取るなら「バカ」でしかないので、より好意的に解釈する。この人物が、事実として、自身の正しさを標榜しているのは見てのとおりである。ゆえに、ここで主張されていることは、「批判されたくない」という意思表示以外のものではない。典型的な責任回避のレトリックである。

 第二に。「多数派」と「正しい」ということが、このような並べ方をされるということ自体に、この人がどのような意識の元に各種言論の相対的位置を測っているのかが、透けて見えている。それは唾棄すべき言論観と言える。それが具体的に何なのか、「とかいう話題にはしないけどね」。

*1:でもまぁ、それは別にいいや。一人にでも届けばいいんだし。「その指摘が意義のある指摘だとして」ですが。

*2:最悪の、とは、この主張者たちの意識が主観的善意で満たされてきっており、ゆえに、反省も抑制も何もない、ということを指して言っている。