モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

リビングウィル問題、補遺

 立岩真也『弱くある自由へ』を紹介したのだけど、次の本もオススメ。僕は未読ですが、評判よいです。

「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書)

「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書)


 以下、いくつか気になったこと。

 一つ、注意を促しておきたいこと。問題は、リビングウィルの診療報酬化で「発生する」のではない。既に現状が問題なのであって、つまり、多くの病院で、十分なケアが受けられないために、相当に酷い状況で生きざるを得ない人がたくさんいる。食事をさせてもらえない、排泄をさせてもらえない、放置されて傷だらけ、というような。だから、「絶滅政策」は、既に進行中でもある。次のコメント以下のやり取りを参照のこと。>http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20071102#c1194164089

 もう一つ、お願いしたいこと。一人一人が理解を深めるだけでなく、意見を異にする誰かに話しかけて欲しい、ということ。こういう話を受け取ったその人が納得するだけでなく、波紋を広げて欲しいのだ。これはとても勇気がいることだ。しかし、あえて指摘するなら、私たちは「まず、自分自身が理解することも大事だ」ということで、それをするのだけれど、そして、それはもちろん大事なんだけれども、逆に言えば、そこで安心してしまってはいないか、ということだ。

 誰彼かまわず議論をふっかけよ、というのではない。もちろん、そうしてもいいのだけれど、しかし、最初からそんな高いハードルを掲げる必要はない。まずは一人、次に二人、という具合に、やっていけば、それは可能なことだ。積み重ねていけば、いずれ多くの人に手渡すことになるだろう。ともかく、意見の異なる人に届けなければ、決して事態が変わったりはしないのだ、ということ。どこかで止まってしまわないこと。この点を、強く、お願いしておきたい。

※追記。それはたとえば、ブログで、ということだったりするのだろうけれど、具体的なやり方は、それぞれの人においてできることは違うだろうけれど、何かはあるはずで、かつ、何かをしたときに、それで安心してしまわないこと。いつでも「足りない」という感じを持つこと。そんなイメージ。

 最後に一つ。先の記事を読んでいて、「絶滅政策」という目を引くコピーを使うあざとさを、我ながら感じないわけにはいかない。別に、それがまちがっている、事実と違う、というわけではない。しかし、僕は、できるだけ多くの人の目を引くために、わざわざそのような字句を用いたのだ。反省する気はないが、そのことを、あまり快いことだとは思わない。