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沖縄戦「自決強制」を検定削除──また「狭義の強制」論ですか

 「集団自決」軍関与を否定/08年度教科書検定@沖縄タイムス
 教科書から「自決強制」を削除 文科省が修正意見@琉球新報

「軍が直接集団自決するように命令したという証拠がなければ、軍の関与ではない」という話。従軍慰安婦問題のときと同じ、「狭義の強制はなかった」論である。本当に、飽きもせず、似たような理屈を繰り返す人たちで、呆れる。歴史家・石原昌家氏の文章を紹介する。

 日本軍がどうして住民を死に追い込んだかということは、日本軍の文書の中にそれを見ることができる。
 まず、日本軍部は、沖縄県民が「軍事思想に乏しく」「皇室国体の観念が徹底していない」「国家意識が希薄である」から、いったん外国の支配下におかれたらすぐにそれに従うであろう、と明治時代から一貫して不信感を抱いてきた。沖縄戦突入時でさえ、そのような不信感を文書に記している。
 ところが、一九四四年夏、日本軍が沖縄に移駐してきたとき、これほど信用できない住民と「同居」せざるを得なくなったうえに、日本軍の「陣地構築」にまで駆り出さざるを得なくなった。つまり、きわめて重要な軍事機密である日本軍の「編成・動向」や「陣地」を、信用できない住民に知られてしまったのである。
 そこで、このような住民と共に地上戦闘を展開するにあたって、一大方針を打ち出した。沖縄戦の前哨戦ともいうべき「十・十空襲」から一か月後に出された県民指導方針が、「軍官民共生共死の一体化」であった。この十一文字に、住民を死に追い込んでいった日本軍の方針が、明確に示されている。この方針を実行するにあたって、具体的には、兵士はもとより住民にも絶対に敵への投降を許さず、同時に、敵に対して、捕まる前に死んだ方が良いと思うほどの極度の恐怖心を植え付けていった。地上戦に突入した混乱の中で、日本軍の機密を知っている住民が敵に捕まり、「機密漏洩」することのないよう、すなわち軍事機密を守るために住民を「共死」させなければならない、と軍部は考えたのである。したがって、絶対に投降を許さない日本軍の存在を住民が背に感じつつ、米軍が目の前に迫ってくるという絶体絶命の絶望的状況の中で、一つの「きっかけ」によって集団死が発生したのである。つまり、地上戦突入までに、住民間に集団死が発生する心理状態は形成されており、その場で直接日本軍の命令があったか否かは、決定的に重要な事柄ではないのである。軍の命令が直接あったか否かによって、住民のその死を考えようとするのは、ことの本質を見誤っているといわざるをえない。(石原昌家「教科書の中の沖縄戦」、2002年、石原他『争点・沖縄戦の記憶』所収、pp.101-2)

 いじめを苦に自殺した子がいたとして、いじめをしたグループの関与は認められない、とは言えないのである。いじめ自殺を「社会的他殺」という言い方もする、というのになぞらえて、石原氏は「日本軍の作戦による軍事的他殺」(p.94)という言い方もしている。こういう検定意見をつける文部科学省には、100%、いじめ対策なんて無理だろうな。

※ 国内にも歴史認識の対立があるんだ、ということはもっと広く知られていい。沖縄戦とは別に、幕末・維新期の会津戦争を巡る問題について、次の記事。>「もう一つの「教科書問題」@pLANET OF THE APES! NOT MONKEYS!

※ 『争点・沖縄戦の記憶』は、単に沖縄プロパーの問題としてだけではなく、歴史修正主義を考えるための基本文献と言ってもいい。『沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕』は、沖縄戦の混乱の中で何があったのか、過剰なまでに細部にこだわって伝えようとする力作。二つの壕の地図までついてる。

争点・沖縄戦の記憶

争点・沖縄戦の記憶

沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕 ―国内が戦場になったとき (集英社新書)

沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕 ―国内が戦場になったとき (集英社新書)

※ 「命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか!@Munchener Brucke」。「教育や法にのっとらない社会的な圧力や同調的な意思決定を」軍が「駆り立て」た、ということです。