モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

ツネノさんの問題提起を受けて

 id:toledさん(ツネノさん)から先のエントリにいただいたコメントを受けて。
 はじめまして。わざわざ起こしいただいてありがとうございました。僕も一度お話したいと思っていました。というのも、「教育を徹底的に嫌悪する意見もあった方が教育を「取り戻」すためにも有益」であることを、僕もまさに実感もしているからです。貴戸&常野『不登校、選んだわけじゃないんだぜ』*1は非常には大きな刺激になりました。以下、いただいたコメントについて、僕の今の考えを、書いていきたいと思います。


 1つ。僕が教育を考える上で念頭に置いていることの中に、自分と異質なものに出会うことの重要性と異質なものとの出会いにおける根元的な受動性があります。僕達は異質なものを(定義上)理解することができませんから、それを具体的な何かとして求めることも、決してありません。たとえば、僕が経済学を知る前は経済学を知らないので、それを求めることもありません。それは、その原初的場面においては、向こうから一方的にやってきます。その意味で、幾ばくかは暴力的な要素をはらんでいます。こうしたことを念頭に置くとき、人が育つ場はある種の一方的に訪れる暴力性、少なくとも「おせっかいさ」を持っている必要があると考えています。大事なことは、どのようなおせっかいさかであり、そのおせっかいさの大きさ・強さです。おせっかいであることそのものは不可避だと考えています。これは、たとえば「支援とは何か──生活保護・母子加算廃止問題をめぐって - モジモジ君の日記。みたいな。」において、パターナリズムを分節化しつつ考えたことでもあります。よって、「おせっかいな人と出会ってしまう場」、「望まないのに呼び出されてしまうような場」(そしてそれは、「いつでも自由に退出できる場」であるべきだと思いますが)の必要性は、シンボルではなく、私達の生のあり方に根ざすものです。私達は他者という資源を必要としています。以上の考え方に大過なければ、そのような場の概念を壊さずに残す必要があります。


 2つ。「取り戻す」ことと「取り込まれる」ことは裏腹ではありますが、そのためには「今ある教育とは全然違うけど、何か別のすばらしいものが実現するとしたら、「それをなお教育と呼ぶかどうかは各人の自由としよう」と言うべき」ではない、と思います。というのは、僕らが作る新しいものを別の名前、仮に「教育2」とでも呼ぶとして、そのような呼び方をするならば、「教育」と「教育2」がこの世界の中に並存してしまいます。僕はそれを望みません。並存してしまうこと、これこそがまさに「取り込まれること」ではないでしょうか。「取り戻す」とは、悪しき概念を過去の遺物として退場させることを含むと思います。だから、今ある教育概念に対して積極的に攻撃を仕掛けていくつもりです。そのような対立の構図を作らねばなりません。だから、私達が作る新しいものは、批判する相手の名で呼ぶことを要求するべきです*2
【2006/12/21追記】・・・ここは根拠が薄弱であるような気がする。相手と同じ名=「教育」「学校」という単語を使うかどうかは、別の話だな。(学校ではない)「フリースクール」と呼んだところで、既存の「学校」を不問にして共存することになるとは限らないだろう。「大事なことは、私達の提起する概念が古い概念を「脅かす」ものであることを、隠さないこと」はそのままで良い気がする。そのために、異なる単語を使うも、あえて同じ単語を使うも、それぞれに利点があるだろうし、両方あっていいんじゃないかな。細かい論点ですが。(追記ここまで)


 3つ。僕は、誰がやるかは、あまり重要視していません。やはり、やる中身によるでしょう。教育基本法「改正」については、最も抑圧的なダメ教師の既得権を守る方が、その既得権を教育行政に渡すよりマシだと僕は考えていますから、さしあたって今回の「改正」に反対するかどうかというのは議論の余地はないと思います。というのも、お役所に抗議なんかするといつも思いますが、この役所の窓口には権限というものがありませんで、どうも課長とか部長とか、上の方の人が決めていて、しかも、この人たちはまず滅多に窓口に出てこないんですね。これを改善しようと思ったら、窓口に可能な限り大きな権限を与えること(窓口にエライ人が来るのでもどっちでもいいですが)と、その窓口に駆け込む人たちの言い分を最大限真剣に取り上げることだけが大事じゃないかと思います。これはその窓口の人の人間性によりません。どういう人間であれ、教育行政という場所に束ねられて肥大化した権力よりは組みしやすいはずです。なので、ツネノさんの立場においてさえ、反対することこそが正しかったはずですよ、と僕は考えています。「学校」、「教育」を廃棄するという場合にも、以前の教育基本法の方がずっと組しやすかったはずです。

*1:ISBN:4652078072

*2:ある時点を取れば、二つの教育概念が並存している状況は生じるでしょう。そこで大事なことは、私達の提起する概念が、古い概念を「脅かす」ものであることを、隠さないことです。