科学における実在論と非実在論
興味深い*1。
やり取りを時系列で並べると、次のような感じ。
- 「OCNブログ人のサービス終了について|OCN ブログ人」
- 「トンデモという決め付け - 酔狂人の異説」
- カワバタさんのコメント
- 「トンデモという決め付け(2) - 酔狂人の異説」
- カワバタさんのコメントその2 & 「OCNブログ人のサービス終了について|OCN ブログ人」
- 「トンデモという決め付け(3) - 酔狂人の異説」
- カワバタさんのコメントその3
【06/05/14追加】
最後のやり取りを引用。
カワバタヒロト『それでは、一点のみ。「あらゆる構成物は、自然法則や社会的なルールなどに制約されており、何でもありなどではない」とのことですが、それは実在論の立場です。なぜなら、自然法則の実在性を認めてらっしゃるから。
つまり、酔狂人さんは、実在論的構成論を展開しているわけです。
そのあたりが、一連のやりとりの中で、ぼくが見誤っていた部分だと思われました。
おそらく理解の食い違いの部分は、突き詰められた思います。
ひょっとすると、理科教育の現場での構成的な言説も、このような「実在論的構成論」なんでしょうかね。ご指摘を受け止めた上で、いろいろ調べてみます。おりにふれて、なので、きっと時間はかかると思いますが。
ありがとうございます。感謝致します。』 (2006/04/24 05:19)
…
# suikyojin 『「日が昇る」と言ったからといって、天動説を信じているとみなされるのは困ります。
普通の言い方をすると実在論的な表現になってしまうというだけです。自然法則の「実在性」を認めているつもりはありません。』 (2006/04/25 05:51)
http://d.hatena.ne.jp/suikyojin/20060424/p1#c
カワバタさんの言う実在論的構成主義の立場。僕の理解では、この立場は、自然法則の実在性(たとえば万有引力の法則の実在性)を主張するのではなく、自然の実在性(万有引力の法則という構成物で私たちが捉えているところの何かの実在性)を主張するものだ。この理解でいいならば、カワバタさんが「suikyojinさんは実在論的構成論の立場」という理解で間違ってないと思う。
カワバタさんのエントリのコメント欄で「1実在論だけを載せる、2非実在論だけを載せる、3両方を丁寧に載せる、この3つだけある時で、字数が限られ、3番目を見送らざるを得ない時、2番目を選択しようと思う気持ちは何となく分かります」というコメントがあった。うーん。分からないではない。けども、生齧りの非実在論者のだらしない相対主義者ぶりなんかを想起するに、そうとも言えないような。僕なら実在論+可謬主義で実在論的構成論のエッセンスを伝えるのがベターな気がする。
*1:科学論なんて、このブログで扱ったことありませんけど、一応ポペリアンなので、まんざら知らない議論でもない。所詮半可通ですが。