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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

fenestrae氏にもう一つ述べておきたいこと

考察

 「2006-03-18 - fenestrae」の記事について。
 記事は大変興味深く読んだ。フランス語を解さない人間にもそのような記事を読めるようにしていただき感謝している。とはいえ、元々「フランスのメディアが偏っている」と僕が述べたのは、「こういう記事がフランスには存在しない」と主張したかったからではない。日本においても、この格調高い記事と同等以上に本質を衝いた文章はいくつもある。たとえば、岡真理、早尾貴紀といった人たちが書いたものには、そうした良質なものがいくつもあるし、「パレスチナ情報センター」や「P-navi info : パレスチナ・ナビ編集員ビーのブログ」といったサイトは、この問題についてのポータル・サイトとしての地位を確立しつつあるように思う。にも関わらず、日本全体のメディア状況として言うならば、偏っていると言わざるを得ない。それと同じだ。
 論理的には単純な話だと思う。なので、fenestraeさんが予告した上でこの記事を翻訳してくれて、その上で僕(あとid:noharraさんも、か)との間のやり取りについて、一体どんな意味を読み取らせようとしているのかは判然としない。何もないかもしれない。基本的な誤解があるだけじゃないかと、僕などは思う。ただ次のことを繰り返す。このような記事が人種差別のレッテルを貼られるほどにはフランス社会には歪みがあるし、それを止められない程度には(そうした社会を反映している程度には)フランス・メディアは偏っている。そこに尊い努力があることを否定しない。にも関わらず偏っているし、偏っていると指摘することは尊い努力に報いる方法の重要な一つだ。


 これだけだったら、そのまま流したと思う。けど、当該記事のコメント欄におけるfenestrae氏のコメントは、そのまま流せない。また、これについてコメントすることで僕の立場をより明確に示せると思うので、コメントを加える。

パレスチナイスラエルをアラブ−米、第三世界−欧米、非西洋−西洋、植民地−帝国というように際限なく投射して一次元上の二元論で割り切る人たちにどうしてもわかってもらえないのは、フランスにおけるこのもう一つの軸の重要さ。

 fenestrae氏は名宛人を書いてないけど、僕に対しても向けられたものだ、と勝手に解釈する。その上で述べる。僕は「パレスチナイスラエル」という二元論の上には立たないし、fenestrae氏のあげるどのような軸についてもほとんど関心はない。僕の立場は、他のあらゆる問題についてそうであるように、基本的には、現に生きている人間の存在という事実、その物理的な存在条件を与えるか破壊するかという二元論<生>という一次元上の二元論のみに基づいて考えるというものである。この観点から見るとき、パレスチナ問題において焦点となるべき事実は、占領という事実である。だから、歪みも偏りもその次元でまずは考えればいい。
 他の物差しは、使うなとは言わないが、使わねばならないわけではない。これ以外の軸は、その時々に考える必要があるとしても、二次的なものであり、それ自体としての重要性などなく、いずれの場合でも<生>という次元に対してどういう含意を持つかという関係性によって相対的な意味が生じるだけである。だから、まずは<生>という物差しのみで物事を見ることが肝要だと思っている。いくつもの軸があってややこしい、というのではなく、そもそもこの一つの軸をどう扱うのか、という話だと理解している。どうしてfenestrae氏のような聡明な人が、わざわざ話をややこしくしたがるのだろうか。