モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

ビラまき訴訟・Nazume氏とのやり取りの総括

やり取りを時系列で並べてみる。

  1. 他者の到来を否定する東京高裁 - モジモジ君の日記。みたいな。
  2. 相手の主張をつまみ食いするご都合主義者の君へ - モジモジ君の日記。みたいな。
  3. 話の筋が見えていないご都合主義者君へ - モジモジ君の日記。みたいな。


Nazume氏の応答は一旦収まったので、今回のやり取りからいろいろ考えたことを書いてみたい。やり取りそのものは、ありえる(外した)批判であり、ありえる(凡庸な)返答であったので、その意味では新しさは特にない。しかし、他者の訪れというものが一体何であり、それがどのような意味・可能性を持つものなのか、それをNazume氏の訪れに即して説明することは、事態の推移を見て知っている人には分かりやすい素材になるだろうと思うからだ。ひとまず、順を追って整理してみたい。

◇ 匿名性について

本題に入る前に、最初に述べておきたいことがある。Nazume氏は、匿名であり、かつ、同名で継続的に意見を開陳しているわけでもない。その意味で、完全に使い捨ての名前で訪れた。これは匿名性のレベルで言えばかなり高いレベルにある。そのことを非難したいわけではない。むしろ逆で、このように高いレベルの匿名性であるからには、木っ端微塵にされてもおおっぴらに恥をかく、というのとは違って、そのハンドルを捨てさえすれば、いかなる意味においても失うものなどない。だから、ある意味僕の方も手心を加えることなく木っ端微塵にした(少なくともそのつもり)。ネットの向こう側で彼は(あるいは彼女は)悔しくて歯ぎしりでもしているかもしれない。それでいいと思う。しかし、僕自身も含めて、人はそういうところから出発するしかないのだから、特に卑下することはない。むしろ、IDを捨てて、堂々と、もう少しマシな立ち位置で再起をはかって欲しいと思う。むしろ、直接僕に言葉をぶつけにきた点において、好感さえ持っている。
個人的に、議論の中身において誠実に振舞う気があるのであれば、匿名性という防具をしっかり身に付けて、真剣に打ち込み、力いっぱい弾き飛ばされるのはいいことだと思う。ひとまず、彼の論そのものは矛盾に満ちたものとして粉砕されたと思う。転向するか、別の手を考えるか。いずれにせよ、ここに書き込んだような考えを再検討なしに繰り返すのであってはならないと思う。しかし、きちんと議論の結果明るみに出たことを次の行動に生かしてくれるならば、別のハンドルになって、Nazumeなどという名前で発言したことなどなかったかのように振舞ったって構わないと思う。捨てハンの恥はかき捨て。それでいい。同じ恥を繰り返さないための誠実さはどこかでもっていてくれさえすれば。そのように思う。(もちろん、誰相手でも許されるわけではない。少なくとも僕くらいには攻撃的でトゲトゲしく振舞っている相手を選ぶべきで、静かにおずおずと意見交換している人のところに殴りこみかけて好き勝手やってよいわけではない、ことは一応述べておく。)


その上で白状しておくと、今回バッサリやったのは、最近忙しいので多少イライラしてたからであり、一種の鬱憤晴らしとして手心加えずにぶっ飛ばした。まぁ、ビッチリ防具に身を固めてるわけだから、そんなに痛くないよね。ってこともない?まぁ、いずれにせよ、あまり上品な振る舞いだったとは言えない。今は反省している

◇ 民主主義の可能性と私的自治の相克・・・Nazume氏の批判について

Nazume氏の批判そのものは矛盾に満ちたものとして粉砕されたと思う。かといって、僕の最初の見解が擁護可能なものかは、まだ示されていない。いや、示すまでもなく分かることだと思わないではないが、しかし、示しておいてもいいかもしれない。


まず大前提として、この社会が民主主義の社会である以上、私的自治の考え方は制限されるべきと考える。政治的目的は、この社会の他のメンバーへの言語を用いた働きかけを通じて、広く賛意を集めることによってのみ達せられる。それが民主主義の社会だ。だから、他のメンバーに言語によるメッセージを伝える手段は、よほどのことがない限り、保障されるのでなければならない。私的自治といえども、民主主義を標榜している以上、民主主義を可能ならしめる基盤を破壊してまで貫徹してよいものではないはずだ。

民主主義の社会なのであるから、人は聞きたくないものであっても、そのような話を聞かされてしまう可能性を完全に閉ざす権利などない。もし、民主主義を否定し、自らの政治的権利を完全に放棄した別の制度を実現した後であるならば、そうした情報の訪れを完璧に排除するような私的自治を主張してよい。しかし、そうでない以上、すべての人間は、聞きたくない主張が物理的に訪れる可能性をあらかじめ排除してはならないのである。*1

この点について反論がある人は、聞きたくない人・聞くと不愉快になる人にメッセージを伝えることなくして、どうして民主政治が可能であるのかを十分な説得力を持って論じてもらいたい。(この点について、実際の法がどうであるか知らない。しかし、仮に法が他者の訪れを否定しているならば、その法は民主主義を否定していると僕ならば批判するよ。)


以上の前提に立つならば、ビラまきの拒否を要請しうる根拠は、私的自治などという権利ではありえない。唯一、身体の危険をはじめとして、より優先されるべき差し迫った問題があるのでない限り、政治的主張の訪れに開かれているべきである。だとすれば、郵便局員や宅配便配達員が入れるところに、ビラまきが入っていけない理由は当然ありえない。

その意味で、私的自治を根拠としたNazume氏の主張の大半が、そもそも成り立たないと僕は考える。たとえば次のような部分。

われわれの持っている通念上は、郵便ポストへのアクセスは認められる範囲内にあるのであり、反戦ビラも当然に認められるべきだろう。

郵便局員や宅配便配達員が私有地内の郵便受けに物を投函できるのは、その私有地の住民がそれを許可(黙認)しているからに他なりません。禁止しない理由は言うまでも無く「郵便局員を締め出したら自分達が不便だから」です。この「反戦活動家」が逮捕されたのは、住民が私有地への侵入を許可しなかったにも関わらず、やめようとしなかったからです。当人に直接抗議しても無駄だったのですから、あとは警察に相談するしかありませんね。

他の部分も、およそすべてが私的自治論の実に単純な当てはめに過ぎない。Nazume氏は(1)私的自治を貫徹したところで民主主義の実現が一体どうして可能であるのかをきちんと論じるか、(2)民主主義を否定することを明言するか、(3)あるいは他の重要な見解か、いずれにせよなんらかの見解を示さねばならない。


あと、ここを参照。およそ暴力的なビラまきとは程遠いよ。
http://t2.txt-nifty.com/news/2005/12/post_acf1.html
地裁判決要旨(無罪判決の方)

◇ Nazume氏の書き込みのその他の部分について

以下は、それから少し外れる論点。

誹謗中傷ビラの類にまで表現の自由があるとは思わない。

自衛隊の官舎に自衛隊批判のビラ投函する時点で、住民が受ける不快感は推して知るべきです。
何を持って誹謗・中傷しているのかを判断するのは、司法ではなく受け取った住民です。

そんな無法が許されるのかよ、ととりあえず一言だけ突っ込んでおく。

そのビラの内容が、あくまでも政治的主張であるならば、最大限に守られるに値する権利である。

他者の人権(平穏に生活する権利)よりも優先される権利ですか。恐ろしい権利ですね。
戦前の思想統制された軍国主義の日本を想起させます。

問題の官舎の「平穏に生活する権利」は、別にビラまきの人々が暴力的に押し入ったわけでも威圧したわけでもない以上、これ以上ないくらいに守られてる。そのあたりは、地裁判決要旨でも分かる。その上で彼らが(気持ちの上で)平穏でいられないのは、良心の呵責以外にないと思うけどね。イラクに軍隊として訪れることが本当に現地の人のためになると確信しているなら、どうして平穏でいられないのか。(しかし、そもそも官舎の住人において平穏でいられなかった人はごく一部ではないのかという可能性もありえる。「http://t2.txt-nifty.com/news/2005/12/post_acf1.html」などを見ると、特にそう思う。)

結論・他者の到来を拒否するべきではない
存在している他者が私の元を訪れる可能性を不当に剥奪する。
私自身を新しく作り変えていくための糧=(不愉快な)他者の訪れを阻害する、
まったく望ましくない判決である。

その割には、はてなユーザにしかコメントを許可していませんよね。「糧」だかなんだか知りませんが、ご自分で他者の訪れを制限しているようにしか見えませんが、もしかしてダイエット中ですか?

はてなユーザIDは、ネット接続可能な環境にいる人なら(つまりそもそもこのブログを見られる人なら)誰でもが、無料で手に入れられるものです。いうなれば、入り口に「ドアがある」という程度のことであり、そこは鍵はかかっておらず、誰でも入ることができます。それだけで「他者の訪れを拒否している」と言うのは、いくらなんでも牽強付会

ID拒否については、いくらでもID再取得が可能ですから、手間を惜しまずIDを作り直す人なら、いくらでも意見を書くことができます。しかし、予め言っておきますが、そのIDでブログを開設し、継続的に意見を書いている人においては、そのIDにおいて論破され、場合によって恥をかかされることは、今まで積み重ねた資産に傷をつけられることを意味します。その意味で、ID再取得の手間くらいで安全圏から好き勝手言えることをむしろ恵まれていると思ってください。甘えるのはいい加減にしましょう。

mojimoji様の主張に従うのであれば、今後私がここへしつこく反論を書いても、
決して削除せず、書き込みを拒絶、制限しないという認識でよろしいでしょうか?
だとしたら議論の相手としてこれほど安心できるものはありません。

既に述べたように、そのようにはならない。とりあえずそれを「受け取り」はするわけだ。受けとったビラを、自分の家の玄関に貼り付けて、剥がさずに来客の閲覧に供しつづけることまで強制されるいわれはない。削除とそもそもの訪れの拒否とは別物。この点については、次のエントリで他者の訪れについて検討する予定。

まぁ、あと、どう考えても、これほど手間と時間をかけてあなたの相手をする人もそうそういないんじゃないかと言うくらい、丁寧にお相手して差し上げていますからねぇ。ここまでやって、そりゃ意見そのものは拒否しているわけだけど、Nazume氏自身の矛盾点はこれ以上ないくらい赤裸々に示したはずだし。あるいは、今回直接応答したことで、ちゃんとした返答もらったと考えてもらえるのかな。


あと、他者の訪れについて、あと一回くらい記事を書く予定。ひとまず今回はここまで。

*1:しかし、容易に分かることだが、自らの政治的権利を放棄した瞬間に、私的自治を主張する足場も既に失われているから、目論見どおりになるかどうかわからない。というより、なるわけがない。つまりは、政治的主張を拒否する私的自治なんてのはそもそもが不可能な概念なんだよね。