モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

障害者自立支援法について反論する

大学教員の日常・非日常:万が一のために
http://blog.goo.ne.jp/ted21century/e/456700d3d05b5e426f99e1150798bbaf


フラスコ氏の「大学教員の日常・非日常」における障害者自立支援法案についての書き込みから始まって、コメント欄での簡単なやり取り、そしてted21century氏が自ブログでエントリを上げる、という形で議論が進んでいます。といっても、ほとんどted21century氏からの論点提示であり、反対意見の方はまた「論」の体をなしてないわけですが。せっかくきちんとしたエントリをあげていただいたので、こちらも真剣に反論を試みてみたいと思います。

(とりあえず、余談ぽくなりますが、先に断っておきます。フラスコ氏の言う「自分も障害者になるかもしれないから」というのは、そのロジックでなら福祉社会保障に賛成するという人がいれば止めはしませんが、僕自身としては賛成しません。自分がなる可能性があるかどうかと関係なく、それが必要である人には提供されるべきだと考えるからです。)

以下、ted21century氏のエントリに関して述べます。

1.代表的障害者?

最初に本質的ではないことについて。障害者で24時間介護が必要な人が代表的な弱者であるかのように抗議するのは,自立支援法の性格を誤解させます。そのような弱者イメージのみで障害者を扱うことは,ノーマルに社会参加している障害者へも偏見の目を向けることになっています。24時間介護が必要な人は極端なケースであって,そのような例外的ケースには例外として配慮すると厚労省も回答しています。

別に、ALSの人や重度脳性麻痺者を、「障害者全体で一番数が多い」というような意味での代表として扱っているわけではないでしょう。なぜ彼らが前面に出るかといえば、長時間介護の保障が途切れたら、文字通りに命に関わるのがこの人たちだからです。重度障害者の存在は、提案された自立支援法案に対する「反証」です。数の多寡は問題ではありませんし、代表的な障害者かどうかなんて議論になぜなるのかが不思議です。平均的な障害者が暮らせても、「極端な」障害者が暮らせなければ、そんな制度は失敗だからです。
その上で、厚労省は「配慮」と言う。しかし、それならなぜ法案に明記しないのか。以前から、実際の地方自治体相手の介護時間交渉では、ボランティアを探せだの、家族が介護できる時間を聞いてきたりだの、そういうことが当然のように行われる。厚労省の言う配慮というのが、今まで行われてきたこうした「配慮」以上のものになるとは到底期待できないわけです。不安や反発が生じるのも当然でしょう。
「そうはいっても財源がない」とおっしゃるでしょう*1。これがどこまで妥当かを考えてみます。

2.重度身体障害者のホームヘルプにどれだけ金がかかるのか

以下、「障害者介護制度情報2005年10月号」にしたがって、数字を検討してみます。
長時間介護が必要な人たちのために、一体どれほど金がかかるのか。自立支援法の在宅・施設合わせた国の予算の全体は8000億円です。そのうち、900人ほどいる「長時間介護で月100万円以上使っている障害者」の使う予算は0.8%、逆算すると70億円くらいになります*2
ヘルパー予算全体でいくと、日本全体で国900億円+地方900億円=合計1800億円となります。これが大きいか小さいか判断しづらいと思いますが、それでも支援法予算の10%強に過ぎないことは注意してよいでしょう。さらに、障害施設予算1兆2000億円(国・地方各6000億円)の方と較べると、事情が分からない人でも薄々おかしさが分かってくるんじゃないでしょうか。
では、この障害者施設というものがどういう位置づけのものなのか。施設生活ではなく地域での生活を可能とするものへ、というのは、世界的には既に当然のものとなっています。少し話は飛びますが、現在、国連で「障害者の権利条約」についての議論が進んでいます。障害者施策のあり方の世界的な流れを作る重要な条約です。まだ作成中ですが、その議論をしている特別委員会議長の提案項目は、グローバルスタンダードがどのあたりにあるのかの一つの状況証拠にはなるでしょう。

国連障害者権利条約に対して議長が提案する項目
第17条 地域社会の一員として地域内に暮らす権利
1.障害を持つ人々は自らの生活形式を決定する平等の権利を有する。この権利には、自分の家庭を築く権利、家族とともに暮らす権利、自らの決定を実施するために費用な経済的及びその他の支援を受ける権利が含まれる。この権利は、施設での生活を選ばない権利を含む。
2.国は全ての障害者が地域社会の一員として地域内に暮らす権利を認め、次のことを保障するために必要な全ての措置を行う:
(a) 障害を持ついかなる人も施設に収容されない保障。
(b) 障害者の地域生活を効果的に支援する様々な在宅(in-home, residential)及び地域支援サービスを受けられる保障。
(c) 一般的な地域サービスが地域内に暮らす障害者にも利用可能であり、そのニーズに適応していることの保障。

まとめますと、世界的にはこれから縮小していく方向の障害者施設に国・地方あわせて1兆円ものお金を投じているのに対し、地域生活の命綱であるところの障害ヘルパー事業の方はわずか1800億円であたふたして切り詰めに走っているわけです。ほとんど誰も入所を望まない施設への予算(=無駄遣い)を減らせば、今後ヘルパー事業予算が急激に増大しても十分対応できるはずです。「なぜ施設の予算が減らないのか」というのは、結局そこに利権があるからじゃないでしょうか。下衆の勘ぐりといわれればそうでしょうが、これほど効果も将来性も疑問視されている領域に気前よく予算を積んでいる理由を考えたら、他にありえませんので。「財源が足りないのではなく無駄遣いが多い」というのがやはりまったく正しいように見えます。

3.精神障害者32条問題)と軽度知的障害者、その他

忘れてはならないことは、他にもまだまだあります。とりあえず僕が今、思いつくのはこの二つです。他にない、ということではありません。とりあえず知りえているのがこれら二つだ、というだけです。
精神障害者とされる人たちの(僕の)基本的イメージは、「医療サービスを受けながら就労している」というものです。現在、5%を自己負担しています。これらの人たちは就労しているとはいえ、病状が悪化した場合には速やかに労働現場から離れることが可能である必要があるし、その場合には休んだ分は所得保障されるわけでもないので、収入としても雇用としてもそれほど安定したものではありません。現状、既にギリギリの状況です。
では、就労してない人の場合はどうなるでしょうか。所得が十分でない人からは取らない、というようなことが言われますが、この場合の所得は「世帯単位」で見るので、就労していない=所得が十分でないとはみなされません。家族と同居している人や主婦などは、負担が増えます。http://www.32project.com/を参考に、それ以外にも発生する変化も併せて整理すると、次のようになります。

  • 世帯に課税される精神障害者32条の対象外とする(家族と同居する精神障害者や家庭を持つ主婦などは 現行の32条の対象外になる)
  • 高所得者には32条を適用しない
  • 病状が特に重い者だけに関して32条を適用する
  • 指定診療機関以外では32条を適用しない
  • 心療内科では32条を適用しない

この中で、「これはまぁいいんじゃない」と受けいれられるのは、「高所得者には32条を適用しない」のところだけです。後は、ほとんど全部が弱者へのしわ寄せになります。


さらに、軽度の知的障害者の場合。僕のイメージだと、「親と同居しながら、日中作業所などへいく」というパターンですが、この場合も世帯単位で負担能力を見ますから、ほとんどのケースで負担が増えるでしょう。
既に述べたように、他にも僕の知らない問題はあるはずです。
(ちなみに、ここでは当然のこととして考えていますが、「障害者の家族が負担すること」そのものを、ここではまったく考慮しません。そんなことあるべきではない、と思っているからです。だから、世帯として負担能力があるならば、そこからはちゃんと税金を取ればよいのであり、障害者が受けるサービスを「自己」負担するならまだしも、「世帯」に負担させる(実質、他の家族に負担させる)などというのは、到底認めるわけにはいかないものです。そもそも「家族が介護したり負担したりするのは当然だろう」と考える人は、その段階から考え直してもらう必要があります。が、今回はとりあえず論じません。)

4.まとめ

で、こうしてまとめてみて思うのですが、フラスコさんの記事にpapaさんという方が「木を見て森を見ていない」というコメントが寄せられているのですが、僕もそのとおりだと思います。それこそ、「サラリーマンをやっていた経験があって障害厚生年金をもらって十分に暮らせている人」を代表させて発言しているのではないでしょうか。それこそ「障害者の代表ではない」はずですし、年金課税も含めて所得課税の問題として考えるべきことではないかと、とりあえず思います。


さらに言えば、そもそもデフレ放置している人たちが、「財源が足りないんです」と言って、もっとも困難な生活をしている人の負担を増やそうなどというのは、そもそも出発点からして間違っているように思います。先にデフレを退治して母体となる経済が息を吹き返してからやればいいものを、それをしないで無茶な財政再建を企図して、挙句出てくるのが「障害者の負担増」とか、まったく理解ができません。なぜマクロ経済学者と一緒になって「リフレをやれ、でないと仕事になりません」と怒らないのでしょうか。なぜ、財政プロパーの経済学者は、リフレを考えないでわざわざ厳しい状態から財政再建を構想しようとする人が多いか、不思議に思います。

*1:「「弱者のためのサービス」の財源はどこに求めれば良いのでしょうか」とおっしゃっていますし。

*2:だいたいこの手の予算は国と地方で半々負担ですから、地方自治体の負担がもう70億あって、総額140億円かかっていることにはなりますね。