モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

制約なき集団的自衛権には反対する

メンフィスさんのところの記事につけたコメントにご丁寧なお返事をいただいた。>「「戦争のできる国」」@メンフィスからの声
「しかし、集団安全保障体制を必要とし、日本がコミットすべきであるという意見そのものの原理的評価を抜きに、現実論だけをぶつけるあり方は、説得力はあまりないように私には思えます。」というのももっともだと思うので、簡単にですが、僕の考えを書いてみます。


(今までのやり取り(といっても大した量ではないですが)を知らない人向け注意書き:以下、「集団的安全保障に日本もコミットすべき」という主張への批判ではありますが、メンフィスさんがそれを主張しているわけではないので、その点は誤解なきよう。)


集団安全保障体制が必要だという見解がありますが、基本的に同意してもよい、と思う面もあります。しかし、国家主権に制限を加えることまで含めて、それに歯止めをかけうる国際司法体制とセットでなければなりません。アメリカのような強国が集団安全保障体制「のみ」を強調するのは、それは別の本音が透けて見えるというべきです。そして、日本のようにそこに追従しようとする勢力は、アメリカがそのような要求を呑むはずがないと匙を投げているのか、あるいは何かおこぼれに預かろうとしているか、そのどちらかでしょう。匙を投げているにせよ、おこぼれ狙いにせよ、それは正直に言ってもらわねばなりません。いずれにせよ、相手にするような見解ではないと思いますが。言うまでもありませんが、少数の大国が拒否権を持つような国連安保理ではこのような役割を果たすことは不可能です。

思うに、国際司法体制と切り離して集団安全保障体制を主張する人々は(集団安全保障体制支持者は僕の知る限りすべての人々がそうですが)、「軍事的脅威が存在する」という部分についてだけやたら現実的で、「自らが軍事的脅威になる」ことについてはやたら理想的な観測を行っている、なんというかアドホックな主張をしている人たちに過ぎません。この点について納得のいく説明ができない限り、集団安全保障体制のための改憲論は単に「戦争のできる国」を目指している以外の何物でもないでしょう。