モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

すべての人に開かれた高等教育を目指して

200人に1人大学教員の日常・非日常」のコメント欄でのやり取りに触発されて教育を受ける権利、その権利を保障する意義について考えてみた。*1


海外の議論に助けを求めるのはあまり賢い議論の仕方ではないが、ひとまずこの問題への注意を引くための枕としては知っておいていい話だと思う。たとえば1960年代に策定された経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、通称・国際人権A規約では、教育について次のように書かれている。

経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(赤字強調モジモジ)
第13条(教育についての権利)

1 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。更に、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的又は宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。

2 この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。
(a) 初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること。
(b) 種々の形態の中等教育(技術的及び職業的中等教育を含む。)は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること。
(c) 高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること。
(d) 基礎教育は、初等教育を受けなかった者又はその全課程を修了しなかった者のため、できる限り奨励され又は強化されること。
(e) すべての段階にわたる学校制度の発展を極的に追求し、適当な奨学金制度を設立し及び教育職員の物質的条件を不断に改善すること。

高等教育へのアクセスを潜在的に理解可能なすべての人に開こう、そのためには無償化が目標なんだ、そういう理想が高々と掲げられている。*2先日聞いたところでは、国際会議レベルでは、教育を受ける権利は生存権に近い非常に基本的な権利として議論されることが多いらしい。考えてもみよう。われわれの国は国民主権の国であり、われわれの担っている政治が単なる人気投票ではなく理性的な議論に支えられたものであるためには、高等教育への権利は、遠い道のりであっても目標にされねばならないことだ。今のアカデミズムがその責任を果たしえているか、と聞かれればいろいろ批判もあろうかと思う。しかし、公共的理性を支えるためには、組織化された知の営みが絶対的に必要である。

A規約の締約国でこの第13条について留保*3しているのがアフリカの小国二つのほかには、日本だけである。あとは、規約そのものに批准していないアメリカくらいで*4、それ以外のすべての国は、この目標に同意して、サインしている。アフリカの二国の留保理由は明確である。経済状況がそれを許さない。先進国でこの条文の影響下にないのは日本と、アメリカくらいのものである。しかし、そのアメリカでさえ、奨学金は給付が中心であり、高等教育に対する公の存在感は日本より遥かに大きい。

この規約の存在を知ったとき、世界は僕が思っているよりももっと理想主義的であるのだなぁ、といたく感動した。日本政府の第13条の留保についても、いい加減撤回させなければならない。「いきたけりゃ働いていけ」とか「試験だけは受けて能力証明できるから、それで十分」とか言う問題じゃないと思うよ。

*1:嘘。前から考えたことを吐き出してみた(笑)。ついでに、次のエントリも参照。高等教育の現状についての興味深いやりとり。>レポートコピペする大学生は何のために大学行ってるんだろうか?ARTIFACT@ハテナ系

*2:ドイツの事例に触れている記事。>善き事を行う人々には@小さい声のために

*3:規約全体に署名しつつ、条文の各項目について効力を発揮させないように保留する、という仕組み。

*4:アメリカというのは不思議な国で、自由権的権利中心のB規約にさえ、つい最近やっとサインしたらしい。A規約は「それは政策の話」として、まったく相手にする気配さえない。このような国がグローバル・スタンダードを語るのは片腹痛いというべきだと思うが。