モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

弱い人をどう位置づけるのか

 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20041125#p1 でまとめたという論文ですが、読み返してみると、これでもかなり問題があるように思えてきました。一言で言えば、「自己決定できる強い個人」を基準に考えていることの弊害はくっきりと残っている感じ。

 性労働の、それが過酷だと感じざるを得ない人にとっての過酷さというのは、相当なもんです。そして、切実な状況ゆえにそうした過酷さを選ぶ人々というのはいて、たとえば難病の子どもの治療費のために性労働に従事するという人はいて、その人の選択を禁止すべきではない、しかし性労働に従事することを自己決定だと言って持ち上げるようなことでもない、というところまでは考えた。切実さゆえに過酷な選択をする人たちってのは、経済的には弱者だが、それでも自己決定できる強い自己を持ってはいる。それは性労働者一般のイメージとかけ離れすぎているような気もする。

 そうした切実さとは別の回路でこの世界に入る人たちがいる。そういう人たちを知らなかったわけではなかったのだけれども、無意識に視野から落としてしまっていたのかもしれない。たとえば、ホストにはまって性風俗に入ってしまう人というのはどうなのだろう。自業自得、と切り捨てちゃう人もいるだろうけど、その人が持っている弱さというのはその人の責任に帰していいものだろうか?その人をはめたとしても利益を得ることができないならば、誰もその人をはめようとはしないだろう。逆に、はめて利益を得ることができるからこそ、その人は狙われる。だとすれば、買売春というものを、なくしていくという方向性を明確に打ち出す必要性はあるのかもしれない。もちろん、ないのかもしれない。しかし、ちと理をつめて考える必要のことではあると感じてる。