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『セックスボランティア』

 河合香織セックスボランティア』に関して。今のこの世の中では障害者は様々なところで理不尽な壁にぶちあたる。多少なりとも彼ら(「彼ら」だよ。とりあえず今は)に関わってきたから、その壁についてはわずかながら知っている。そして、障害者の性について書かれたこの本は、とりあえず「性」という領域においても同様の理不尽な壁が存在することを教えてくれる。たとえば、次のように書かれた箇所を読むとき、僕は少なからず胸が締め付けられる。

「おんな の こ と あそびに いきたかった けっこんも したかった こども も ほしかった きょういくも うけたかった でも そう おもうことさえ ゆるされなかった」(PP..31-32)

 同じ本にでてくる他の障害者にも共通するのだけど、「自分はこんな体だから、相手の負担になりたくない。だからパートナーになりたいとか、どんなに好きでもそんなこと言っちゃいけないと思った」というようなセリフが出てくる。なぜこんなにも彼らは自己を抑制するのだろう。させられるのだろう。そのように仕向ける構造をこそ破壊しなければならない。ただし、同じようなことはたとえば重度障害者が教育を受けたいなどと願ったときにも生じる(それは↑に引用したセリフからも明らかだ)。「性」の領域に焦点化して物事を理解してしまうなら、かえって誤解を深めることにもなる。


 さらに言うと、ここに載っている事例から、性風俗産業やセックスボランティアの存在意義について肯定的なインプリケーションを引き出すことはできない。性的サービスから得られる快楽と私たちが幸運にもめぐり合えたパートナーとの関係から得られる快楽とはまったくの別物だ。それはその人が障害者であるかどうかとは関係がない。
 第1章の竹田さんがみどりさんによせる思いから感じる苦悩はソープ通いで昇華されるものではない。彼がそれをたのしんでいるにせよ、だ。第4章の真紀さんがセックスボランティアを紹介しようとした四人の女性は、興味を示しつつも、思案の末に結局全員が利用していない。真紀さんは言う。「女性はセックスの『ボランティア』という言葉だけで傷つくものです」。僕はこれは女性に限らないと思う。第2章の葵さんと小百合さんのすれ違いを見ると、葵さんも同様なことでほのかな痛みを感じていたのではないかと想像する。真に大事な物は、既に「性」という領域内に収まるようなものではないし、性的サービスによって得られるものでもない(第2章の最後、葵さんのパートナー・ゆかりさんの話を読み返してみよう)。単純に、性的サービスから得られるような快楽に限定してそれをどう思うか、と問うてみるならば、それは「スポーツ観戦で興奮したい」とか、そういう欲望と大して変わらない普通の快楽だと思う。特別視するようなものでは既にないから、それが得られる/得られないってことで大騒ぎするようなことではなくなっている。


 私たちは無数の人々が行き交う空間の中で、たまたま出会った人たちと関係性を作り上げ、そこに生きていく。友人であれ恋人であれ、主体的に出会い、関係性を育て、そしてしばしば別れる。別れにおいてすら僕らは主体的に行動するわけで、それこそが僕らが生きるということの意味だと思う。重度障害者の多くにとって何より困難なことは、この空間からあらかじめ排除されていることだと思う。本当の問題はこれだろう。彼らが相手を思えば思うほど、相手のために何も出来ないがゆえに相手から離れるという選択を選ばざるを得ない。与えられた初期条件ゆえに「相手と関わることが相手の尋常ではない負担になってしまう」という状況それ自体なのだと思う。これこそが自己抑制を誘導する装置なんじゃないのか。ここを問題にせずに「性的サービスへのアクセス権」の話に矮小化してしまうなら、これは間違いなく論点がずれている。こうした状況で、そうした関係性とはまったく異質なレベルで性的サービスをとりあえずあてがうってのは絶対違うだろう。これって、森岡正博さんが本来問題視したところの無痛化そのものだと、感じるんだよね(竹田さんの思いから受け取るべきことはこういうことだと思う)。
 問題が初期条件なのだとすれば、ここでもやはり第一に考えるべきは分配だ。障害者の直面する他の様々な問題においてそうであるように。分配はすべてを解決しないが、すべての始まりではある。無数の竹田さんがいるはずで、その中には、分配さえあれば相手に向かって思いをぶつけてみようと勇気を出した人もいたかもしれない。そうれでどうなったかは分からないが、そこで悔いが残るも残らないも彼次第、とは言えると思う。僕らはたいしたことはできないのだけど、せめて後は彼ら次第なのだという状況まで連れてくること。社会として彼らに対してやるべきことってそういうことじゃないのかな。


 著者がどうまとめたかはともかく(実はまだ最後まで読んでない)、僕としては貴重なルポでした。障害者問題と障害者の性の問題の違いに少し考えがまとめきれてなかったけど、これで1つスッキリした気がする。つまり、違いなどない(もちろん、最後まで読んでみて、それまでの間に何かあれば別ですけれども)。


 実は私学法改正の解説記事、まだ終わってません(笑)。慌てて仕事中・・・。