モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

個として生きること

 中間集団に所属することと(その中間集団を批判することも含めて)個として生きることは両立する。両立しない、と言うなら、それは「反日は日本を出て行け」の類の頭の悪さ以外ではない。

 言うまでもなく、私はさまざまな集団に所属し、その集団の威を借りて生きている。これは当たり前のことだ。人は、たまたま生まれ落ちた場所にあったあらゆるものを使って生きようとする。それも当たり前のことだ。というより、人が在ることの条件そのものだろう。で、僕が常々主張していることは、それぞれの集団の中において、それぞれの集団の外に対して、個として突っ張り通すことを外して考えることはできない、ということだ。

 右でも左でも、こういうことがさっぱり理解できない人というのはいる。たくさんいる。でもまぁ、いちいち驚くよりは、いちいち指摘する方が生産的だと思うので記しておく。さすがにウンザリはするわけだが。

 自由で自立した個人なんて、一体どこにいるのだろう。誰でもしがらみの中で、執着の中で、生きている。自由かどうかなんて知らないが、ただ、自分そのものを引き受けて生きたいとは思う。それは少なくとも、自由であることに向けて生きることではあろう、と思う。たとえ奴隷であっても、奴隷根性の染みついた奴隷にだけはなりたくないな、と思う。


 ちなみに、「右でも左でも」と書いたからといって、中道気取ってるわけではない。私は左。左として↑を実践してるだけ。