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当事者主義だけではダメなんだろうな

 Arisanの分析。>「排除する政治」@Arisanのノート
 ここに続けて。


 元々、民主党というのは寄り合い所帯で、統一的な政見などない。個々のメンバーは民主党そのものの党勢を考えるようにはできていない、つまり、民主党内の保守層が「党利党略を超えて」、社民的なものを政治の場から排除するべく画策した、と考える必要がある。民主党右派というのは、その路線を実現するために、民主党左派の存在を仮面として、まるで社民主義的なもの「も」代表するかのごとく擬態しているだけだ。

 ともかく、辺野古回帰案のような暴挙が出てきた以上、社民党としては罷免されるまで抵抗→連立離脱は鉄板。連立に未練を残すようなスタンスこそが、ここでは害悪だろう*1。その上で、現在のターンに注目すべきは、民主党左派のグループだろうと思う。


 で、以前から危惧していることなのだが、民主党左派のほんとどはシングル・イシューの人だというところ。通常、よその国に爆弾を降らせることに賛成しながら「私たちに医療保障を」というのは破廉恥な行為だろう。人間の尊厳を守るとは、「すべての人間の尊厳を守る」ことなのであり、社会保障も外交防衛もその他諸政策も、その都度原則に立ち返って一貫した態度を取ることこそが、本来の左派のはずだ。ところが、民主党左派にいる面子というのは、このあたりが曖昧に見える。たとえば、医療を売りにして関係団体の支援で議員になっている人が、「患者の人権も基地周辺住民の人権も、同じ人権、見過ごせない」といって強硬な党批判ができるだろうか?

 離党などの手段で政権から離れれば、「患者の人権」を前進させるためのパイプを失う。党を離れないまでも、執拗に執行部批判を続ければ、自分の担当領域の政策が通らなくなる。だから、支持者は認めないし、当該議員の党批判は沈黙するかガス抜き的な形ばかりのもので終わるだろう。結果として、シングル・イシューの人たちは、それぞれの担当領域での政策の前進とバーターで、政権の保守化傾向を承認する役回りを演じさせられることになる。簡単に言えば、市民運動は各個撃破される、ということだ。「スト破り体質」と言ってもいい。当事者主義に(のみ)基盤を置く市民運動の限界がここに浮き彫りになるだろう*2

 出発点が当事者主義であることは構わないけれど、それはある時点から普遍主義に向けて歩み出さなければならない。しかし、そういうことを「大文字の正義」として忌避するのが最近の風潮だ。その結果がこの体たらく、ということなので、ここらで考え直す必要があるだろう。事は想像以上に深刻。民主党左派の議員たちが、本当に今のようなシングル・イシュー的取り組みでいいのか、真剣に支持者たちと話し合うことを希望する。


 も一つ追加しておくと、以上の構図の中で鳩山の役割を見るとき、それでも鳩山には怒りを禁じ得ない。彼は、好意的に見れば民主党右派にはめられたのであるけれど、そうであるなら、断固として対決して退陣すべきだ。おそらく、彼はこの期に及んで民主党の亀裂を隠蔽しようとしている。党を守ろうとしているのだろう。度し難いお人好しである。しかし、そのお人好しぶりによって迷惑を被る人たちからすれば、それは既に害悪なのである。

*1:離脱せんかったら、それは社民党の自殺だ。

*2:追記。断定しちゃったけど、そうならない目はあるのかな?民主党内の批判がもっと強まってくれるといいけれど。