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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

簡単に言っていいんだよ。

 選挙おもしろい@sociologbookについて。

以前、県内某所でボランティアの平和ガイドやってる教員崩れの腐れナイチャー(笑)が、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」(原文ママ)と発言したときにぶち切れた俺だが(笑)、「カネがない」ということをあまり甘くみないほうがよい。地位を保証されてのうのうと暮らしている教員や公務員ならなおさらである。

 わかるんだけど、やっぱり違う、というか。ここできしさんが「腐れナイチャー」と言う文脈は、想像できなくはないんだけど、とりあえず、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」という文言自体がまちがっているかというと、それは違う、と思うんだよな。モヤモヤするので、整理する。


 きしさんが紹介しているような「無駄な公共事業」は、もうどうしようもなく無駄であって、大抵の場合、実際に担っている業界関係者にだってわかってる。その上で、「だったらどうすりゃいいんだ」みたいなことを言う。正直、答え自体は簡単だ。「土木建築はやめる。同じ金を教育医療介護その他にまわす」。土木建築の雇用は減るかもしれんけど、代わりの分野で雇用が増えるから同じこと。職を変えるのが大変だというなら(もちろん、そうだ)、このシフトに時間をかけたっていい。毎年少しずつ減らし、他方を少しずつ増やす。それでいい。大抵、議論としてはこの時点で終了する。

 終了するのだが、まだ食いさがってくる。知る限り、パターンは一つしかない。「なるほど、あなたの話はわかった。しかし、他の人たちはあなたの言うことに同意しないだろう。だから無理だ。非現実的だ」。だって、今あなた、わずか5分ばかりの話で説得されたじゃん。どうして他の人は無理なのよ。あなた自身が説得されたんなら、あなた自身が次の一人を説得しろよ。僕も別の次の一人を説得するから。1人が2人、2人が4人、政治ってのはそんな風にして変わるものだし、そんな風にしてしか変わらない。「時間がかかる」って話ならわかるが「非現実的だ」ってのは、どういう飛躍だ。……ここで、この議論は再び終了する。

 しかし、説得されたはずのその人は、大抵の場合、変わらない。ここで保持されている信念ってのは、ほんのひとかけらも合理的なものではない。それでも諦める。理由は明らかだ。諦めれば、面倒くさいことは一切やらなくて済むし、良心の呵責を感じることもない。逆に、希望があると、努力しなければならないではないか。努力しないことに、後ろめたさを感じてしまうではないか。だから、希望を否認する。他に説明のしようがない。

 もう一つ。そういう無駄な公共事業を、無駄と知りつつ、それを必要とする。それは家族のため、子どものためだ、と言う。世の中はきれい事ではない、と。だから、僕は聞く。あなたが家族のため、子どものために環境を破壊し、コンクリートのがらくたで島を埋め尽くした後で、あなたの子どもは、その子ども自身の家族のため、その子ども自身の子どものために、なにができるのさ。こんな無駄な公共事業が、永遠に続くわけがない。永遠に続くわけがないなら、それができなくなったそのときに、あなたの子どもか、そのまた子どもか、さらにそのまた子どもは、その家族のために何ができるのさ。結局同じことだろう。それが愚かなことでしかないなら、どこかでやめるしかない。どこかでやめるしかないなら、なぜ今ではないのか。それこそが子どものため、子どもの子どものため、そのまた子どものため、ではないのか。……ここで再び、この議論は終了する。もちろん、それでもその人が変わるということは滅多にない。

 無駄な公共事業にぶらさがって稼ぎを得ること自体が罪だと言っているのではない。そうではなく、稼ぎを得ながら、そのような稼ぎではない別の稼ぎを求めればいい。土木建設で稼ぎながら、もっと本当に役に立つ仕事で稼ぎが得られるようになることを望むと言えばいい。僕が要求しているのは、「正しい稼ぎを求める」、正しくない稼ぎを得ながらでも「正しい稼ぎを求める」、そういう態度だ。そう、態度だけだ。結果ではない。姿勢だ。姿勢だけを求めている。しかし、そうではなく、なんの役にもたたない公共事業を「役に立つ」かのごとく騙ったり、役に立つかどうかなど頓着しない態度に開き直ったりするのであれば、それはまちがっている。そして、そのように姿勢において、「正しい稼ぎを求める」ことを断念する、嘘を言う、そうしたことまでするのなら、それは罪だと言う他ない。


 こういう人たちとは違い、難しくても変わろう、変えようとする人もいる。辺野古で座り込みをしているじいさんばあさんたちだって(少なくとも聞く範囲では)そういう人だ。そんな人たちはあちこちにいる。こんなバカな公共事業はいつまでも続けられるものではない。難しく言えば「持続可能」ではない。だから、できるだけ早く変えよう。だったら、今変えよう。どう変えたらいいか。わからない場合でも、とにかく変えよう、というところにコミットしようとする。どう変えたらいいか、考えようとする。

 現状維持で公共事業にすがろうとする人たちがやっていることは、変えようとする人たちを踏みにじることでもある。構造として言えば、スト破りする連中に似ている。確かに、それぞれの生活はある。そうではあっても、先がないものは先がないのだし、愚かなものは愚かと言う他はない。

 公共事業にすがる人々と同じ困難を生きていないからといって、黙り込んではいけない。言い方を考える必要はある。自分の位置に自覚的である必要はある。たとえば、きしさんが言うように「「カネがない」ということをあまり甘くみないほうがよい。地位を保証されてのうのうと暮らしている教員や公務員ならなおさらである」という面はある。

 しかし、こういうロジックで、公共事業にすがりつく愚かさを前にして黙り込んでしまうならば、それでも変わろうとする人たちを見捨てることになることは指摘されていいと思う。沖縄にいるのは、公共事業にすがりつくしかないと決め打ちしている人だけではない。その先に道はないことをどうしようもなく自覚して必死で戦っている人たちもいる。困難に直面しているからといって、そういう人たちを踏みにじっていいわけではない。だったら、愚かなものは、愚かなものと言うしかない。(少なくとも誰かが)言わなければならない。*1


 僕が「腐れナイチャー」とまで思うのは、「目を覚ませ」という部分ではない。それに続けて、「豊かな自然があれば、金がなくてもいい」みたいなことを言う輩がいたりするが、それは違う、と思う。そのときに「この腐れナイチャー」と思ったりする。同じことをしまんちゅが言った場合には、ナイーブとは思っても、腹は立たないけどね。それはもちろんひいきです。すいません。しかし、やはり思うのは、「わずかな補助金と引き換えに青い海を売り飛ばしてしまう愚かな沖縄人には目を覚ましてほしい」と僕も思う。かなり昔から似たようなことは言ってきたしね。


 まぁ、別にきしさんに喧嘩売りたいわけじゃないです。つーか、僕は沖縄が好きだと公言するナイチャーは、基本的に好きです。結構採点甘いですよ。これでいいのか、と思うくらい。それはともかく、フィールドワーカーがフィールドの人たちをバカにし始めたら終わりだ、という面があるのではないか、と思う。そこにいる人たちが「本当に」愚かであるとしても。そこらへんが難しいよね。僕には到底無理。だから、きしさんのようなフィールドワーカーがいることは大変ありがたいとも思う。僕には絶対できん仕事してくれてるから。ただ、きしさんのこういう文章を読んで、自分もまた「腐れナイチャーのようなことは言うまい」と考える人が増えるのは勘弁してくれ、と思った。あなたがフィールドワーカーではないなら、愚かだと思うことは愚かだと言ってやってください。反論されてその通りだと思うなら、それに説得されればいいのだし。観察する人だけじゃなくて、そこでぶつかり合う人だって必要なんだから。

*1:きしさんが、というわけでもない。フィールドワーカーである、ということは、そういうことでもあるのかな?とも思う。後述。