2009年2月にエルサレム賞を授与される、ということ
みんな、ソンタグの受賞スピーチに気をとられて忘れてるかもしれないけれど、その前にはこういうシーンがあるんですね。
そしてソンタグは授賞式に姿をみせた。そしてイスラエルのオルメルト市長はソンタグの授賞祝いの演説で、ソンタグが出席したことは「自立性を証明する」と賞賛した。さらに国際メディアで近東での対立が一方的な報道されていると憤慨し、暴力を始めたのはイスラエルではなくパレスチナであることが無視されていると強調したらしい。
市長が出てきて、国際メディアはもっとパレスチナを非難すべきだといい、暴力をはじめたのがパレスチナであるとの、あからさまな嘘を言う。そして、そのような文脈でオルメルトが賞賛してみせるソンタグの「自立性」とは、言うまでもなく、国際メディアがパレスチナ寄りであるにも関わらずイスラエルに共感を示すという「自立性」なのだ。
文学賞がそもそも政治的という一般論とは別に、ここまでズブズブに「直接的に政治的」な賞も珍しい。村上春樹が受賞したというのは、そういう賞だ、ということ。……わかりにくいかもしれんから、もう少しハッキリ言っておこう。作家が「直接的に政治的」であるべきと言わないとしても、こんなもの受け取ったら、それ自体、「直接的に政治的」でしかありえないよ、ということ。「直接的に政治的」でありたくないのだったら、拒否する以外にありえない。
まして、エルサレム。あの、エルサレム。他のどの都市でもヒドイことには変わりないけれども、エルサレムとは、東エルサレムの占領の上に、そこへの不法入植の上に成り立つ都市である。そこに住むパレスチナ人を壁の中においやり、あらゆる場面で差別しつづけている都市である。占領、入植、分離壁、アパルトヘイト……。まさに、現代イスラエルの象徴のような都市、エルサレム。
そんなエルサレムを、イスラエルは「首都である」ということにしている。当然、国際社会は承認していない。していないが、イスラエルはそんなことに頓着していない。数多の国際法違反を非難されつつ、しかし、一顧だにしないイスラエルの、まさにその象徴たる都市、エルサレム。
そのエルサレムで、上記したような文脈で賞をもらう。
そこで、イスラエル擁護なんかするのは論外なのは当たり前ですが、批判的意図の読み取りようがない無難なふるまいに終始して帰ってきたならば、それは一連の問題についての黙認です。それもまた批判されて当然でしょう*1。
これは、たとえば、村上春樹が東京のデモに参加しない、ということを批判するのとは訳が違います*2。そんなことではなく、まさに人道に対する罪が現在進行中である場所に行き、その遂行者たる国の、首都ならざる首都の、行政の長から、先に述べたような文脈に位置づけられる、ということなわけです。黙認の上で受け取れば、そのようにしかならないでしょう。それで加担者のそしりを免れるなどと、考える方がどうかしています。*3
その程度のこともわからんとか、どんだけ感度鈍いねん、と思いますけどね。自覚しつつ知らんフリするならともかく。……というわけで、次の記事オススメ。読んだ上で、村上春樹の一挙手一投足に注目すべき。
- 「拝啓 村上春樹さま ――エルサレム賞の受賞について」@P-navi info