モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

集合知としての価格とバブル──金融ハイテク化の功罪

 「金融市場の役割とデイトレの生産性」へのブコメに対するレスです。元記事はきわめて不親切ですので、このように誤解されるのは致し方ない、と思います。むしろ、ブコメへのレスだと記事が書きやすい、という面があるので、感謝しているくらいなので、これからもお願いします。以下、個別に取り上げていきたいと思います。

集合知としての価格が成立するための条件

id:ametori トートロジーて単に書き手に時間の概念が抜けてるだけだし、流動性あたりはもう神様視点じゃないか/時間でないとすると参加者のない取引の話っぽいが?どの参加者が正しいかわからないから市場に任せるのだろ。

 時間の観念は関係ありませんね。僕が重視しているのは、個々の取引参加者の頭の中で「実体→金銭」という翻訳=評価がなされているのかどうか、という点です。たとえば、個々の企業を調べて、その企業の持つ技術や設備が将来もたらすであろう財やサービスを想定し、それが市場でどれくらいで売れるかを考え、そこから収益性を考えていくなら、そこで「実体→金銭」の翻訳が行われています。しかし、その企業の株価が過去にどのように変化したかなど、翻訳結果の過去のトレンドを見ているだけの場合には、その評価は企業の実体とは、とりあえず関係ないものになりえます。

 個々の取引参加者の翻訳=評価は、当然、個々人によって違います。個々人によって異なる評価が市場で集計され、市場価格が決まります。たとえば、その企業の株価が決まります。市場参加者が「実体→金銭」の翻訳を行っているならば、そうした人々の意見の違いを反映していきますから、株価は一種の集合知とみなすこともできるでしょう。しかし、市場参加者がそもそも「実体」など参照していないならば、その場合の株価に集合知としての解釈を与えることはどうやってもできません。価格が集合知として成立するためには、十分に多くの市場参加者が「実体→金銭」という思考を行っていることが必要になる、と僕は考えています*1

 「金銭→金銭」という思考をする市場参加者がさほど多くなければ、そうした市場参加者による価格への影響は、他の参加者の行動によって吸収されることもあるでしょう。しかし、多くなれば、話は別です。「金銭→金銭」思考であろうと、実際に流れる資金の量が株価を実際に左右するのですから。その場合には、「実体」とは無関係な評価も市場で成立することが可能になります。後者のような市場では、経済学が主張するような良い性質(たとえば「効率性」)は成り立ちません。このような市場を、とりあえず、バブリーな市場、と呼んでおくことにします。

金融ハイテク化の功罪

id:andalusia 金融ハイテク=デイトレ みたいに読める書き方はどうかと。 / デイトレーダーが労働してるとは私も思わないが、別に(例えば宝くじ当たった人が)労働しなくてもいい(勿論、してもいい)と私は思っている。自由だー

 「金融ハイテク=デイトレ」は、少なくとも一部については当てはまると考えています。ですから、まさに、「そのように書いています」。以下のような理屈です。

 たとえば、複数のリスク商品を混ぜ合わせることでリスク分散を図った金融商品がありますが、これは(1)混ぜ合わせられる1つ1つの元商品の「実体」を把握しようとすることを割高にし、(2)把握することによって得られる利益=リスクの把握の価値を下げる、という役割を果たしています。言い換えれば、「実体→金銭」思考をやめ「金銭→金銭」思考をするようなインセンティブを与えているわけです。

 つまり、デイトレーダー層の大規模な台頭は、市場参加者のモラルの問題ではありません。それもあるでしょうけど、金融ハイテク化の結果でもあり、裏返せば、ハイテク化によって可能になった新金融商品に対する規制が不十分であることにあるわけです。で、ここで気づくと思いますが、もはやデイトレーダー層に限らず、金融のプロと呼ばれる人たちだって「実体→金銭」思考なんてしてないわけです、ごく一部を除いて。極端な場合には、過去のトレンドと、ショック要因になりそうなニュースの動向しか見ていない。小さな銀行で町工場とかに足を運んで融資の相談をするとか、そういう泥臭いところを除いて、プロの市場参加者も総じてデイトレ化してます。*2

 というわけで、金融ハイテク化が(そこで開発される商品の性質によっては)金融市場の機能をむしろ破壊する、バブリーな市場を出現させることがありうるということになります。見る限り、市場関係者の意見は金融ハイテク化の擁護一色ですけど、漠然とした「進歩はよいこと」「リスク分散はよいこと」「金融資産への投資が増えるのはいいこと」という実感以上のものは見たことがありません。僕の見解は仮説に過ぎませんけど、それを言うならば、金融ハイテク化擁護の見解は仮説以前です。

 というわけで、規制の方向性も、ある程度定まってきます。情報生産に貢献する市場参加者が有利に、貢献しないデイトレ的参加者を不利にするような規制が必要です。具体的にはいろいろありうるでしょうが、たとえば、本節冒頭で述べたような、さまざまなリスクの金融商品のブレンド商品を禁止・制限する、といったことなども考えられるでしょう。「リスク回避したければ、投資対象に対する情報を生産しろ」と促すような規制が必要なわけです。

 もちろん、そのような情報生産のためにはコストをかける必要がありますから、規制は、市場参加者を「実体→金銭」という情報生産が可能であるような人たちに限定する、という効果を持つでしょう。その分、金融市場に流れ込むお金の量も、(あくまでも昨今の状況との比較においては)減ることになります。ですから、まともに規制すれば現在のような規模の金融市場はありえません。しかし、これは逆に言えば、昨今の金融市場の隆盛は、金融市場の情報生産機能を犠牲にして初めて可能であった、そしてそのツケは確実に払わされる、今回払わされているように、ということです。だったら、一旦、市場が肥大化する以前に戻って作り直す必要がある、と考えるべきでしょう。同じようなことが、土地などのその他の資産市場にも当てはまります。

 ただね、厄介な問題はあって。国際的な資本移動が自由になっているために、上記のような規制をすると、資本が外国に逃げてしまう、という問題があるんですね(苦笑)。ですから、一国で対処するのは極めて難しいです。(1)資本移動を厳しく制限する、(2)「金銭→金銭」型市場参加者に枷をはめるような規制を協調して行う、そのどちらか、ということになるでしょうか。

 まぁ、でも、金融危機が大変だとかいって20数カ国も集まって緊急会議やったりしてるんだから、「問題を解決するつもりが本当にあるならば」できるでしょう。できないとすれば、それは、バブリーな市場から得られる甘い汁を吸い続けたいのだろうと、そういうことだと理解しています。


 で、引用部後半についても一応。働く働かないは自由であるとしても、元記事冒頭でリンクした石田衣良のように、すべての市場参加者を区別なしに「リスクテイカー」として賞賛する風潮はおかしい、とは言えますね。

「バブル」の定義について

 次はオマケです。

id:elastica 道徳。// 磯野ー、金兌換しようぜ!

 どうして「金兌換」が出てくるのかわからない人もいるかもしれませんが、多分、こういうことです。バブルの一例として、「ただの紙切れが高い価値があるものとみなされている」ケース、つまり、管理通貨制度における不換紙幣をあげることがあるんです。

 不換紙幣の何がいいかというと、不換紙幣とは反対の兌換紙幣の欠点を考えるとわかりやすいです。兌換紙幣とは、金や銀などとの交換券としての紙幣のことです。この場合、金銀の総量はこの世界における存在量と採掘可能量に依存してコントロールできませんから、発行している通貨の総量を増やすことような制御ができません。すると、流通している財やサービスの総量に比べて貨幣が不足する状態が生じえます。これがデフレを引き起こし、デフレに由来するさまざまな弊害を引き起こすわけです。だから、兌換紙幣にこだわるよりは、不換紙幣を用いて、適切に通貨を管理した方がよい、となるわけです。

 一方、僕はブログの上では、バブルを蛇蝎のごとく嫌っていますから、elasticaさんは(良いバブルの一例として挙げられることもある)管理通貨制も否定するのだろう、と考えたのだと思います。いささか性急な読みだとは思いますが、気持ちはわかります。しかし、僕は管理通貨制を否定するつもりはないのです。

 その辻褄は、ここまでの説明の中にあります。僕がバブルと呼んでいる現象は、市場参加者の多くが「実体→金銭」の翻訳=評価を行わないために、集合知として解釈できないような市場価格が成立する現象のことです。通貨は、その他のさまざま財やサービスの一種としてではなく、それらの財やサービスに対するモノサシとなる別格のもの、と捉えています。

その他いくつか

 id:goodfieldさんには、http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090107/p1 の追記で既に答えました。

 id:ekwos6000さん、「デイトレーダーなんて皆死んでしまえばいい」とは思いません。「金銭→金銭」型参加者を優遇するようなルールはよくない=デイトレ優遇はよくない、くらいでしょうか。これは市場参加者のモラルの問題ではなく、制度の問題です。強いて言えば、制度設計に関わる人たちのモラルの問題、でしょうか。

 id:ppp22さん、金融市場とそれ以外の市場を区別して考えるのは、別に珍しいことだとは思いませんけど。必要なのは、情報生産に貢献する投資家です。

 id:SyncHackさん、「実体→金銭」型参加者だけでは、参加者は少なくなるでしょうし、取引頻度も下がるでしょうから、一回あたりの手数料は高くなるのはやむをえないでしょうね。それは、必要な規制の一部として働くと思います。

 とりあえず、こんなもんで。

*1:てゆーか、ミクロ経済学の本を素直に読んでいけば、明示的にではないにせよ、そのようにしか読めないと思いますけどね。でも、価格から実体について推論するというロジックを(いつもダメ、というわけではないにせよ)軽々しく使う人は多いので、いつも不思議に思っています。

*2:まぁ、ここは少々煽り過ぎか。ま、いいや。