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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

HALTANさんへ、四つめのお返事

 http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081105/p1
 さすがに、「いやもうバブルでも何でも起こしてドッカンドッカン好景気にして」には、どうしようかと思いましたけど。

「べき論」とは区別された議論として

(3)について

素人の俗論で甚だ恐縮なのですが、これも極端な話、バブルなんかそんなに畏れるほどのことでしょうか? 今回の危機に対しても、オバマさんも早急に対処に乗り出すでしょうし、制度や規制の再設計も速やかに行われるでしょう…。
 良くも悪くもたかが資本主義です、失敗と修正を繰り返すことで自転車操業していけばそれで良いわけです。

 それはかなりヒドイ話です。自覚的であったかどうかは別にして、この10年はまさに、「とりあえずバブル膨らましとけ」な自転車操業をやっていたわけです。そして、それがとうとうはじけました。仮にHALTANさんの主張を受け入れるなら、今回の金融危機とそれに伴う混乱は、すべて想定の範囲内、またバブル膨らませばいい、ということになります。そんなバカな話はないでしょう。

 少なくとも、バブル崩壊に快哉を叫んだhokusyuさんを非難したのは、あれは一体なんだったの?ということにはなりますね。>http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081015

(4)について

 僕は「景気対策のためには財政の再分配機能を強化する必要がある」と主張しています。金融緩和単独なら、効果はごく限定的、やりすぎればバブルです。単純な財政出動なら、累積財政赤字がさらに積みあがる、ということになります。元々リフレは、財政政策と適切に組み合わせて行うべし、という話のはずです。

 「まずはマクロ政策で景気を良くしてですね・・・」という話はですね、そこでの「マクロ政策」が「金融政策単独」を意味しているなら、それをこそ、僕は批判しています*1。それでもなお、「財政の再分配機能強化」は後回しでよい、金融政策単独、ないし、(支出内容に頓着しない)単純な財政出動をあわせて行えばよい、そういう主張をしたいのであれば、それでどうやって景気が回復するのか、ちゃんと説明してください。

※それでは回復しない、という説明なら、僕はやっていますから、それを批判してみればいいでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20081005
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20081102/p1
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20081106/p1
 ここまでやっていても、一言も言及なしに「1991年以降、「学者」や新聞の社説氏やTVのコメンテーターが繰り返し繰り返し説いてきた程度の能書きに過ぎず、今さら何を言っているんだ、としか思えませんでした」と切り捨てられるわけですけども。

(5)について

 学生の就職だけでなく、職場でちゃんと尊重されて扱ってもらうこと、その人生が少しでもよいものになるようにと願えば、当たり前のこと、バブルなんかに頼った経済運営*2を一刻も早く辞めるべき、と思います。今回のバブル崩壊により、今年、来年の学生の就職市場は(どの程度かはわかりませんが)暗いものになるでしょう。

 去年までに就職した学生はどうでしょうか。当たり前のことですが、好景気の間に就職できてよかったね、では済みません。仕事はあったとしても、より厳しいものになることは避けられないでしょう。「いやもうバブルでも何でも起こしてドッカンドッカン好景気にして学生さんを就職させてあげてくれええええええええ」などという無責任なことを言っていたら、それこそ学生にも誰にも顔向けできないでしょうね。

ここまでの議論をふり返る&(1)について

 さて、ここまで僕は、「一人一人をちゃんとみんなで守る」という意味での「べき」論を、まったく使わずに議論しています。単に、「マクロの経済状況をよくする」ということだけを目的として、その場合にも、再分配を強化すべきことを、主張しています。

 HALTANさん、あなたが勘違いするのは無理もないかもしれないけれど、僕は先に「※」のところでリンクを示した一連の記事で単純に景気の問題についても考えていますし、「マクロの経済状況をよくする」という点に絞ったとしても、あなたやリフレ派の主張には同意できないのです。そして、僕が同意できない理由は、ちゃんと示してあるのです。さらに、そうした理由に対する、真っ当な批判を、今のところ手に入れていないのです。


 ここで(1)に触れておきましょう。HALTANさん、自分が依拠している経済学を、自分の頭で理解してみるという努力を、少しはなさってみてはどうでしょうか。誰かの権威によるのではなく、少なくとも、自分が理解した範囲については自分の言葉で擁護してみる、それを試みる、そういうことをしてみてはどうでしょうか。あなたが僕に向ける「素人の疑問」は大分的外れですけれど、それはそれで構いません。問題なのは、あなた自身が依拠している経済学に対しては「素人の疑問」が封印されていることです。何の疑問も感じていないのであれば、あなたは自分の言葉で、それを使いこなして、僕への批判を行えるはずです。いずれにせよ、あなたは、責任を持って自説を述べているとは言えない状況にあることを、自覚しておいてください。

「べき」論を必要とする議論

「べき」論が要請される二つの理由

 さて、その上で、やはり「べき」論が重要であることを述べておきます。僕が主張するような財政構造改革が経済の安定化に寄与するとして、そのことを主張するだけで足りるでしょうか、という話です。一見すると、「一人一人をちゃんとみんなで守る」などといわずとも、「その方が経済成長するよ」と主張すれば、合意を取り付けることは可能なようにも見えます。しかし、僕の考えるところでは、それでは不十分なところに留まるでしょう。二つ理由があります。

 第一に、経済が安定化する必要などない、と考えている人たちがいるからです。つまり、バブルを膨らませて、はじけさせて、またふくらませて、はじけさせて、その都度、多くの人が困窮の中に追いやられるとしても、その中で自分はちゃんと稼げる、その方が自分にとっては都合がよい、そういう人たちがいるからです。だから、「再分配機能を強化する財政構造改革が、経済の安定化に寄与する」と主張したとして、こういう人たちは、「そうですね、でも自分には都合が悪いんだよ」と考えることでしょう。

 しかし、そのように考えたとして、何が悪いのでしょうか?人が、自分の都合、自分の利害に基づいて考えて、それで何が悪いのでしょうか?ということになります。経済の安定化を損なうことによる利益を守ろうとする態度、言うまでもなく、これは批判されるべき態度です。その根拠はどこにあるか。言うまでもなく、「べき」論の中にこそあるのです。「一人一人をちゃんとみんなで守る」べきだからこそ、「一人一人をちゃんとみんなで守る」を放棄した態度は批判されるべきである、と言えるのです。このことをハッキリさせておくためだけでも、「べき」論はちゃんとやっておかねばなりません。

 第二に、「べき」論抜きに、「再分配機能を強化する財政構造改革が、経済の安定化に寄与する」という主張への賛同によってこのような政策が取られたとしましょう。それは、今よりはマシな状況だと思います。しかし、マジョリティからは見えにくいマイノリティに対する施策が後回しにされたり、放置されたりする危険性があるのです。

 財政構造改革がはじまったとしても、それをちゃんと「一人一人をちゃんとみんなで守る」ところまで継続していくためには、「一人一人をちゃんとみんなで守る」ことをちゃんと主張しておかねばならないのです。この主張によって、政策の具体的ありようを批判する原則論がなければ、その歩みははなはだ中途半端なところで止まってしまうわけです。僕は、70点でも80点でも、漸進的な改良でも、それを喜ぶくらいには功利主義的ですが、それでも常に目指されているのは100点であり、70点も80点も常に通過点に過ぎないことを自覚する程度には原則論者ですし、そうあるべき、と思っています。

 ここで、(2)に触れておきましょう。60年代から80年代にかけて、日本でも社会保障制度の整備が進みました。しかし、場当たり的な利害調整を積み重ね制度の建て増しを繰り返すことで対応したために、世にも複雑な制度体系になってしまいました(特に、年金において)。しかも、これを整理するには複雑な利害対立にメスをいれなければならない。こうした状況を招いた大きな要因の一つが、原則論を曖昧にしたまま制度を作ってきたことにあります。それはそれで、今更言っても仕方のないことです。しかし、現にある制度をどうしていくかという問いは、今目の前にある問いです。だから、今からでも原則論をきちんと論じ合わなければならない。そういう話になります。

 しかし、今なお、「そんな悠長なことをしてる場合か」と、言う人がいる。それは本当でしょうか?既に、緊急に金融危機対策をしなければならないことに、ほとんどの人が同意しているでしょう。緊急になされるべきことについては、本当に必要なことには必要な合意は形成されています。では、それ以上の何が必要なのでしょうか?それでもなおなされる「緊急時だ」という恫喝は、ほとんど「もう頭を使うのは嫌だ」の言い換えに過ぎません。僕はそれを「絶望」と呼びます。

すべてのはじまり

 「べき」論だけで政策ができるわけがない。そんなことは、指摘するまでもない凡庸な事実に過ぎません。ですが、あえてこれを指摘するならば、もう一つ指摘する必要があるでしょう。「べき」論でしか動かない人間が一定数いる。これもまた、同じくらいに、当たり前のことです。「べき」論などに頓着しない人たちが多数おり、それが力であり、力が政策を作るのだ、それはある程度正しいでしょう。しかし、そう言うならば、「べき」論に確信を持つ人たちが一定数いることもまた、それ自体、力のはずです。そのような思考が多数派になる可能性があるとしたら、そのような思考を主張し、擁護する実際の人間が一人でも二人でも増えることが必要条件なのですから。だから、「べき」論をいう「だけ」のことにも、ちゃんと意味があるのです。

 もう一つ、述べておきましょう。前半で触れたように、「べき」論とある程度切り離した形でも、再分配の重要性を語ることはできます。しかし、それでも「べき」論をやっておかねばならない理由も説明しました。その上で付け加えます。以上のような議論の全体に、一番熱心に関心を寄せてくれるのは、どういう人でしょうか。言うまでもなく、「べき」論を強く意識している人です。「べき」論を意識しながら、しかし、私たちが直面している状況のあまりの酷さに絶句している人たちは、自分と同様に筋道だてて考えている人間の言葉を読み、励まされる。僕自身が、そのようにして励まされてもきたのです。経済について諦めないで考えていく作業を続けられたのは、そのような励ましのおかげですよ。繰り返しますが、僕は再分配の必要性を、「べき」論としてだけではなく、経済を安定化するための必要な施策としても、提起しています。これは「べき」論と関係ありません。しかし、そのようなことを考え続けてきた動機は、まさに「べき」論にこそあるのです。

 ですから、「べき」論は必要不可欠なものです。「べき」論だけでいいと思っているのか、思っているわけがありません。しかし、「べき」論しか言わない、言えない人がいてもいいと思っています。個人的には、それ以外のことも一緒に考えようと呼びかけていくでしょうが、それはまた、別の話です。

 HALTANさんに「べき」論がわからないのは、少なくとも、素人だからではありません。僕が話した範囲では、こういう話がスンナリわかる素人なんて、いくらでもいます。HALTANさんにわからないのは、別の理由でしょう。その理由は、HALTANさんの心の中にしかありません。そんなものはないかのようにふるまっても、どれほどそのようにふるまってみても、そこにしかありません。

*1:ちなみに、「支出内容に頓着しない財政出動」は論外です。

*2:というより、運営放棄。