読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

バブルは政治の問題

 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081106/p1 で引用されてるブコメなどを。

# 2008年11月05日 id:luke_randomwalker 経済学, これはどうかと うーんBISビュー/バブルだとわかるなら空売りかければ大もうけですがな/で、誰が見てもバブルなら皆が売ってたちまちバブル消滅ですがな/後から「あれは誰が見てもバブル」なんていうのはただの後だしジャンケンでしょ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20081102/p1

ファンダメンタルズと価格と規制緩和

 資産の評価には、二つの視点があります。バブルであろうとなにであろうと、しかも、それがわかっていようといまいと、値上がりを続けている資産はいい資産です。つまり、利回りだけで資産を評価するという視点。もう一つは、実物経済において重要性を持つ資産はいい資産です。つまり、ファンダメンタルズを評価するという視点。

 多くの人々がファンダメンタルズに関心を持って、それに基づいた値付けをして、そうした評価が市場を通じて集約されて、市場における資産価格として反映される。このときには、市場での価格はファンダメンタルズを反映したものになるでしょう。そして、その価格にしたがって行動することで、人々の行動も、ファンダメンタルズへの評価と整合的な行動となっていくわけです。

 しかし、多くの人々が利回りにしか関心を持たない場合は、利回りのよい商品は高く値付けされ、それがその商品の利回りをさらに高めるために、より一層高く値付けされる。これがバブルです。逆に、利回りの悪い商品は安く値付けされ、それがその商品の利回りを低めるために、より一層低く値付けされる。これがバブル崩壊です。このような価格に反応して人々が行動したとしても、市場メカニズムのよさである効率性の実現とは何の関係もないことしか起こりません。ただ、価格の乱高下による混乱が、広く多くの人々に甚大な被害をもたらすだけです。

 利回りにしか関心をもたないバブリーな市場心理はいつでも存在しますが、それが、ファンダメンタルズに関心を持つ市場参加者の行動によって相殺されている間は、それほど大きな問題にはなりません。しかし、近年、ファンダメンタルズ金融商品の値付けを切り離す方向での規制緩和が進められてきました、たとえば「証券化」などですが、これはきわめて重大な問題だったわけです。

 これは資産に限った話ではありません。普通にミクロ経済学を勉強していれば気づくことだと思いますが、価格決定メカニズムは、個々人がファンダメンタルズに基づいてめいめい勝手に価格付けをしていくところから出発します。そのような価格付けが、市場で集約されて、最終的な市場価格が決定されるしくみになっています。市場価格を見て、その背後にあるファンダメンタルズの動きを読み取ったりするのは、その後の話です。価格メカニズムが正常にはたらくためには、「少なくともどこかでは、誰かが、ファンダメンタルズから価格を導く」という思考を行っていることが重要です。価格とは、そういうときに情報としての価値を持ちます。逆にいえば、そうはなってないときには、価格に情報としての価値はありません。

 しかし、近年の金融市場では、ほとんど誰も、世界中の実体経済の細々としたファンダメンタルズになんて注意を払っていない。さらに悪いことに、バブリーな市場参加者が多ければ多いほど、価格そのものの動きがバブリーになります。言い換えれば、バカ正直にファンダメンタルズに注意している市場参加者が損をする、ということです。バブルとわかった時点で「空売り」かけた正直な人は、いつまでたってもはじけないので大損したかもしれませんね。多少は資産を増やした場合でも、(次節に述べるように)ライバルのファンド・マネージャーには負けたでしょう。

 本来、金融という産業が生産しているものは、この、ファンダメンタルズについての情報だったはずなんです。銀行員の仕事は、ちゃんと自分の目でビジネスの実態を見て、出資するにたる「実体経済上の」根拠があるかどうか、それを判断することでした。金融市場ではたらくすべての人間の任務は、そういうことだったはずです。しかし、規制緩和が、金融市場のそういう役割を破壊してしまった。バブリーな市場参加者に有利な規制緩和をどんどん進めてしまった。そういうことなわけです。

ファンド・マネージャーの行動原理

 資産を絶対的な水準で増やすことができるか、という意味でなら、儲けることはそれほど難しくはないはずです。相場格言に「天井売らず、底買わず」といわれるように、「ほどほど」の儲けで満足できるならば。

 しかし、多くの人から資金を集めて投資しているファンドの場合は、そうはなりません。なぜなら、「ほどほど」のファンドは、「めいっぱい」儲けたファンドより利回りが低くなりますから、「ほどほど」で満足していると、出資者は資金を引き上げて、別のファンドに出資することになるからです。そこでゲームオーバーです。もちろん、「めいっぱい」儲け損なって失敗しては、同じようにゲームオーバーです。しかし、いずれにせよゲームオーバーになるのは同じことであって、そこでマネージャーは退場を迫られます。

 ファンド・マネージャーにとって一番儲かるのは、儲け続けて、出資し続けてもらうことです。つまり、ゲームに参加し続けることが重要なのです。「ほどほど」は「やりすぎ」と同じくらい元も子もないことなので、どのマネージャーもギリギリを狙って「めいっぱい」儲けることを狙うようになります。失敗してゲームオーバーなら仕方ない、うまくすれば次のゲームも参加できて、もっと儲けられる。このように、ファンド・マネージャーには積極的にリスクを取っていくインセンティブがあるわけです。

 だから、誰が見てもバブルでも、そうそう簡単にはじけない、消滅しない、ということになります。

 さらに言えば、ここでもファンド・マネージャーのファンダメンタルズは無視されていることに注意しましょう。出資者が、利回りは「ほどほど」でも過大なリスクをとっていない良質なファンド・マネージャーを選んで出資していれば、こういう問題は生じません。しかし、そもそも、誰が過大なリスクを取っているかなんて判断できないからこそ、他人にお金を預けて運用してもらっているわけです。ですから、出資者は、利回り以外に判断材料を持ちません。そして、利回りに基づいてファンドを選んでいる限りにおいて、利回りの高いファンド・マネージャーが高い評価を受けることになります。つまり、ファンド・マネージャーに対する報酬も、市場のリスクを正しく評価するという情報生産の役割への評価ではなく、偶然生き残ってるファンドの度胸に対する報酬になってしまっているわけです。

 当然、金融市場の重要プレーヤーの一つであるファンド・マネージャーがこういう行動原理で動くことによって、バブルはより大きく成長しやすくなりますし、また、はじけたときの暴落も一層大きいものになるわけです。こうしたことが、金融機関経営者の問責の不十分さによって、野放しにされています。

金融業界の自浄作用に期待できるか

 しかも、この状況は、現在の金融市場に参加しているあらゆるプレーヤーにとって、望ましくないことではないのです。そこで生じていることはバブルでしかなく、そこでなされている活動になんの社会的意義もないとしても、とにかく、そこは儲けることができるカジノではあるわけです。負けた人は、とりあえずゲームオーバーにはなりましたが、でも、たっぷり儲けました。バブルが膨らめば、またチャンスはあります。だから、こういう金融市場のあり方を変えたくない、バブリーな金融市場はちゃんと世界経済の役に立ってるんだ、と言い張るインセンティブなら、彼らにちゃんとあるわけです。この期に及んでも、「金融資本主義は基本的に正しい」と言い張れるわけでしょう。あるいは、「ファンダメンタルズ→価格」と「価格→ファンダメンタルズ」の二通りの推論の区別もついてない、ということなのでしょう。

 証券化であるとか、金融機関の経営者責任の不十分さであるとか、サブプライムローンの仕組みであるとか、そうしたモロモロの問題は、経済学的には、わからないわけがない初歩的な欠陥です。困難さは、経済学的な解明のレベルにではなく、それを認めたくない人たちの政治的抵抗に起因するものだということです。


※参考
 とはいえ、一回読んだだけで、参照せずに↑は書いてますので、どっかズレてるかもしれませんが。この本自体は、ともかく、おもしろいです。

すべての経済はバブルに通じる (光文社新書 363)

すべての経済はバブルに通じる (光文社新書 363)

shinichiroinabaさんへの追記

 名前をどう名乗るかは僕の問題。関知しないでください。また、「名前を名乗っているかどうか」でギャラリーに伝わるものがあるとすれば、そんなものは伝わらない方がよい、と思っています。

 ついでにいえば、僕を匿名厨房だ言うのは、言われた僕の問題ではなく、言った誰かさんの問題でしょう。顕名厨房であることを自ら示すのはどうかと、アドバイスして差し上げたらどうかと、思います。

※さらに追記。ことの経緯については、右のように。> http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20081003/p1