モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

コドモを藁う大阪──大阪芋畑闘争

 結構いろいろと大事な論点が詰まってますね。

今回の行政代執行の法的な問題

 「異議申し立て」する権利の形骸化、ということ。そういうことを狙ってやったという意味で、大阪府の狙いは脱法そのものである、ということ。次の二つの記事を参考に。

道路計画そのものへの疑問

 今年2月の報道で、次のようなものがあります。YouTubeより。「渋滞緩和にはならない」は、「でもやるんだよ」というのもわからないではないけれど、「環境対策が甘い」、「大阪府の追加負担が大きい」は、結構大問題。最後のなんて、財政再建しようとしてるんだから、橋下ならマジメに考えるべき論点のはず。元々の計画はかなりデカイ道路なので、見直して縮小する余地はある、という主張。

 あと、次の記事によれば、そもそもこの道路は京都方面から門真までしかこれないので、門真・大阪市内の間の渋滞は解消されず、むしろ、門真付近で一層の混雑をもたらす可能性もあるようだ。>第二京阪道路と大阪府と芋掘りの想い出。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

どうして芋を植えたのか

 「そもそも芋を植えたのが問題」とか言ってる人。そもそも譲る気のない土地、勝手に行政が名義を書き換えただけで、それは不当だと争っている最中であるのに、どうして「芋を植えてはならない」のか。ありえない。

 「相続税節約のための農地利用」とか言ってる人。そもそも、そういう制度があって、そういう制度にのっとって、ちゃんと農地としてマジメに19年利用し続けてきているのに、一体何の問題があるのやら。しかも、勝手に土地を取り上げて、「20年に足りないから、19年分の利子込みで納税してね(はぁと)」とか、どんだけ卑劣なんだか。

 それを踏まえて見直すと、「芋を植えてなかった」ならば2008年は農地として利用していないことになり、仮に強制執行が回避されても、相続税が発生する事態さえ想定される。だったら、芋は植えるに決まってる。譲る気がない上に、農地として利用するつもりがあり、かつ、農地として利用しないならば多大な損害が生じるんだから。

 「代わりの土地をなぜ探さなかったのか」とか言ってる人。あんたがタダで土地を貸してやるって申し出たらよかったんじゃない?それこそ公のために。そもそも、映像とかも見てると、保育園から便利のいい場所に農地として使える土地がホイホイあるものか、と疑問に思うけど。

 だいたい農地ってのは、単に土地がありゃできるものじゃなくて、ちゃんと土壌の世話とかもせなあかんのだけど。農地として使っている土地があるなら、それは農地として使っている土地なのであって、逆に言えば、そんなに簡単に貸せるものではない。また、農地として使ってない土地であるならば、そこを改めて農地にするなら、それなりに苦労をせんといかんことになる。どうして大阪府の横車にそこまで配慮せなならんのか。

 プロ奴隷につける薬なし、といったところか。嘆かわしい。*1

産経「涙ぐむ園児」報道を擁護する

 芋畑に居合わせた園児が1、2人、それも5分程度というのが報じられるや否や、「産経の報道がおかしい」みたいな論調が出てきた。これはこれで変だ。>元になった産経の記事>野菜刈り取られ…涙ぐむ園児 保育園の畑を大阪府が行政代執行@産経ニュース

 5分だろうがなんだろうが、子どもは居合わせた。そして、自分が大事に育ててきた芋が引っこ抜かれるのを見ていた。何を思っていたのかは知らない。自分の大事に育てた芋が引っこ抜かれる悲しみを感じていたのかもしれないし、ただ、驚いていただけかもしれない。ただ、いずれにせよ、後になって「芋掘りは中止」ということを聞かされて、だったら、そのときには悲しむだろう。産経の記事が想定したとおりの文脈において。

 それとも何か。後で教室とか自宅で泣くのは関係ない、それが「荒らされる畑を見て泣く子」でないならば、産経の報道は捏造、歪曲だとでも言うのだろうか。そういう園児がたくさん実際にいるのでなければ。そうであるなら、「後で教室で知らされてなく子」は報道されないのだから、土地を取り上げんとする側にこそ実に都合のよい話であるなぁ、と思う。あるいは、「後で教室で知らされて泣く子」を取材して、それを報道せよと言うのだろうか。それこそ「子どもを巻き込む」話だと思うけど。

 ハッキリしているのは次のことだ。子どもがその場にいようといまいと、行政代執行は子どもを巻き込んでいる。その場にいようといまいと、子どもたちが関わっている畑に強制執行を行うとは、そういうこと。同時に、保育園は行政代執行の現場に子どもが居合わせないように注意を払っていた、ということ。「子どもをダシに」は失当。(むしろ、批判者や橋下知事こそが、「子どもをダシ」にしているね。>橋下知事「園児の涙利用」と保育園側を批判 行政代執行

 産経記事の「子どもの涙」報道が問題であるのは、芋畑の行政代執行を悲しむ園児が存在しない、そんな園児はどこにもいない、という事実が蓋然性を持つときだけだ。そんなバカな蓋然性がありえないなら、産経の報道(とりわけ写真)はきわめて効果的に事実を切り取った優れた報道である。事実とそれを報道することの間に不可避に生じるズレについて、少しは考えた方がいい*2