モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

学力調査で「自分の位置」を知る必要はあるのか?

 受験する学校を選ぶとか、そのために知る必要性があるケースはある。ただ、今回の学力調査の問題って、「解けなかったら、先々苦労するんじゃない?」と思われるような、かなり基本的な内容が問われていたんじゃなかったっけ?

 そうだとするならば、「全体における自分の位置」なんて知る必要がない。100点ではないすべての子について、まちがった問題について、なぜ、まちがったのか、なにが理解できていないのだろうか、ということが考えられるべき*1。逆に、まちがった問題があるにも関わらず、「平均点よりは上だ」みたいな安心の仕方をする方が遥かによくない。

 点数を公表して比べれば比べるほど、子どもの関心は仕事の質そのもの(=絶対評価)ではなく、周囲との位置関係(=相対評価)のみに焦点化していく。わざわざ教育して子どもをダメにしてるわけだ。バカバカしいにも程がある。「自分の位置」を知ることにもほとんど意味なんかないのに、まして、「全体における自分の学校の位置」なんかに意味があるわけがない。

※そして、できてないことをできるようになるべきだ、と説得するときに、「みんなはできるんだよ」という脅しは、とてもよくない。「みんなもできてない」ことはどうでもよい、と考えるようになってしまいがちだからだ。教師は、できるようになることそれ自体が大事なことであるならば、それが大事なことだとちゃんと説得するべきだ。そして、そのように自信を持って言えないことを教えようとするべきではない。


 昨日だか一昨日だかのニュースで、大阪府下の市長連中が橋下に迎合して教育委員会批判を繰り広げてるのを見て、ホント、どうしようもないな、と思った。教育委員会にも、それほど高尚な考えなく公表に反対してる輩も当然いるだろうけれど、そういうことは全然関係がない。頼むから、わざわざ子どもの向上心をダメにするような政策をやるのは、金輪際やめてくれ。


 いろいろ疑問がある人もあるだろうから、教育関連の記事を精力的にアップし続けていらっしゃる、次のサイトを紹介しておきます。>「今日行く審議会@はてな」

*1:補足。「一般論で」考えるのではない。まちがったその子の答案を見て、「その子が」なぜまちがったのか、なにが理解できていないのか、ということを考えるべき、ということ。だから、個別の生徒に対して、その子の答案を示すのは、当然否定しない。ただし、それって「全国一斉テスト」であるべき理由がないよね。なにか教えて、確認テストして、で、まちがったところを確認して、って、個別の教室で先生が責任をもってやればいい話で。