モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

稼働率も税収も関係ない、しかし。

 svnseedsさんが「あーなるほど」と書いてらっしゃるのですが、次の主張にも僕は同意しませんので、やはり溝は埋まっていません。

それとあわせて、僕の先日のエントリにおける「まずは経済成長、次に福祉を含めた諸々の政策」という僕の主張は、「現在の日本の経済状況においては」という限定を付けるよう訂正します。

 この点を説明しますが、その前に。「全面的に非を認めます」風なスタンスに限らず、強硬なものであれ宥和的なものであれ、論者のその都度の態度とは区別したものとして、議論は議論として、見ていただければ、と思います。

稼働率の問題は関係がありません

 次のように考えてください。稼働率の低い経済αがあります。そのαに、基本財への支出を強化するよう再分配を組み込んだ別の経済(やはり稼働率は低い)α’があります。僕は、稼働率を引き上げるための政策を実施する前にαをα’にしてください、と主張しています。

 αのまま稼働率をあげたとして、それはα’の稼働率をあげた状態とは異なります。αを出発点とした政策では、新しい雇用が基本的ニーズに向けた財やサービスの生産を増やす方向で生まれるとは限りませんが、α’では、相対的に、基本的ニーズに重点化した新規雇用になるでしょう。

 同様に、稼働率の十分高い経済βがあって、そのβに、基本財への支出を強化するよう再分配を組み込んだ別の経済(やはり稼働率は低い)β’があります。僕は、経済活動規模の最大値を引き上げるための政策を実施する前にβをβ’にしてください、と主張しています。

 だから、一連の議論において、どうして稼働率が問題になっているのか、よく分かりません。「現在の日本の経済状況においても」、「まずは経済成長、次に福祉を含めた諸々の政策」という政策に同意しません。それらは関係がありません。まず先に、αかα’かの選択をちゃんとやってください。というのが僕の主張です。どうしても、稼働率が「先に」問題になるのであれば、その説明を(どなたかに)いただきたいです。

※以上で、稲葉氏の「終わってない(3)」への応答にもなってると思います。

税収の額も関係ありません

 以下、「「マクロをミクロに見てみれば」への直接的なリプライ」として書かれている部分について検討します。
「ふたつめのその1」に関連して。

要するに僕が生産性を持ち出したのは、「資本集約型産業の生産物の方が大事です」なんてナゾな主張をしたいが為ではなく、

* 相対的に生産性が高くまたその伸び率も高い産業から相対的に生産性が低くまたその伸び率も低い産業への大規模なシフトが起こった場合、当然税収が減少することが予想されます

* この場合において、「基本的ニーズの分野が満たされた社会」という目的を実現するための手段として「富裕層」への課税の強化を挙げるのは、sustainableではないように思え、従って非現実的だと思います

ということです。

 それは「*」以下の理由で「資本集約型産業の生産物の方が大事です」と述べているんです。ただ、ここでの論拠が「税収」であるなら、それもまた、妙な話ではあります。僕は先に、次のように述べました。

逆に、労働集約型産業の財を重視するような社会的選択が行われ、そのための政策によってGDP値が減少した場合、「それは生産物の組み合わせを変更したことに伴う変動であり、社会厚生が減少したと理解するべきではない」と主張するための論拠に使うことができますね。……

 仮に、αからα’へのシフトのような変化が、GDP値を減少させるような変化であったとしても、それはそれで問題はありません。同時に、GDP値としては減少しているなら、そこで税収も、金額としては、減少しているかもしれませんが、それもまた問題ありません。

※ついでに。ここでも「大規模な」という修飾語によって、ある種の矮小化がはかられていると思います。が、ここはあえて乗った上で次のように問うようにしましょう。「相対的に生産性が高くまたその伸び率も高い産業から相対的に生産性が低くまたその伸び率も低い産業への大規模なシフトが起こった場合」とありますが、小規模なら問題ないんでしょうか?そして、小規模と大規模の境目はどのあたりにあるのでしょうか?いずれにせよ、その「小規模」なシフトについては、マクロ経済政策を云々するより先に実行可能だ、という話になり、それならば、「再分配より経済成長が先」は成り立たない、ということになります。

本当に問題なのは、次のこと

 以下は、svnseeds氏への批判とは別の話になりますが。(いや、svnseedsさんが考えるところのsustainabilityに関係した批判になるかもしれません。が、とりあえず関連はつけずに述べます。)

 むしろ、問題なのは、αからα’へのシフトのような変化で、利用可能な生産要素自体が減ってしまうことだろうと思います。つまり、資本や労働の海外流出の問題です。この点は、たとえばブコメid:fromdusktildawn*1id:REV*2らが嬉々として指摘しているところです。それによって税収も減り、という事態は当然あるし、ゆえに、私たちは、そうそう簡単に「累進税率の強化」などとは言えないわけです。もちろん、ある程度はいえましょうが、ある程度、です。

 ただし。そうであるならば、そもそも問題が「資本や労働の海外流出」にあることはハッキリしたわけです。ならば、世界的に、税の累進性を高めるような政策協調をやってください、ということです。逃げてもいいけど、どこに逃げても同じ、という税制を作ってください。

 なお、資本については、移動そのものに対する規制を考えてもいいでしょう。そもそも、労働移動については、生身の人間が移動する以上不可避のコストがあるのに、資本移動はほぼコストゼロで移動できる、というのは、「労働よりも資本の方が分配上優位」という状況につながるはずです。なので、資本と労働のイコールフッティングのために、トービン税のようなものを考えてください。また、タックスヘイブンをどうにかしてください。イラクアフガニスタンなどより、そちらの方がよほど「脅威」です。


 近年、高福祉高負担の先進国である北欧諸国が、高負担の見直しを始めた、という状況があります。これらの国々の税制が、必ずしも累進度の高いものではないことも、最近知られるようになってきています。さらに、スウェーデンでも、労働者の国外流出が問題になっている、と。周知のことです。しかし、これらのことは、北欧諸国のような福祉国家の理念そのものがはらむ問題としてではなく、近年の経済のグローバル化という環境におかれた福祉国家の問題として理解されねばなりません。世界システムの一部として。たとえば、hokusyuさんが先日書いた、次の記事のような視点が大事です。>「「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法」

 先進福祉国家が高負担の見直しを始めていることを嬉々として語る新自由主義者がいますが、少なくともその引き合いに出す出し方は的外れです。原因は、国際社会(というより、G8などの一部有力先進国社会)がグローバル化の進行に併せて必要なルールを作ってこなかったという点にあります。だから、G8サミットのような場に、あのような大規模デモが殺到するべきなんですよ。


 経済成長と、それ以前の価値選択の問題は、独立です。関係がありません。そして、グローバル化などさまざまな理由によって実施困難なことがあるとしても、その原因がどこにあるのかをハッキリさせることができます。そして、その対策について、先進諸国の政府がいかに怠慢であるかもハッキリするわけです。

 ついでに、もひとつ参考記事。だいぶ古くて書き直す必要がありますが、とりあえず。>「新自由主義的グローバリズムへの対抗戦略」

 以上のことは、さらに検討した上で修正されたり撤回されたりするかもしれません。ただし、僕の問いは一貫して「すべての人が必要なものを手にできる経済はいかなるものか」というものです。上記アイデアの修正や撤回は、別の道を模索する動機にはなっても、現にある悲惨を「マシなもの」として妥協する動機にはなりません。それは言うまでもなく、いかにあろうとするかに関わる、意志の問題です。