モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

マクロをミクロに見てみれば

 「例のGDP云々の件」@svnseeds’ ghoti!
 もう、これ以上驚きはしないけれど、とりあえず、ここのまとめには同意しません。稲葉氏のブログに書き込まれた次のコメントと読み比べてみれば、ズレがどのへんにあるのか分かるかもしれません。ご参考までに。>o氏のコメント
 それを踏まえて、svnsseedsさんの記述について、幾つかお答えしておきます。

ひとつめ

 「ひとつめ」とされている部分については、まず、僕の議論の要約が全然違いますので、そこで既にアウトです。o氏のコメントを読んでください。

ふたつめのその1

 「ふたつめ」。「mojimojiの主張が非現実的である」と考える1つめの理由について。
 ここの議論も、価値判断の問題を無自覚に持ち込んでいます。いわゆる「生産性」についての議論。svnseeds氏は、次のようなことを書いてますね。

1. 『「福祉社会」のコアとなる産業』は労働集約的な産業であること。一般的に労働集約型産業よりも資本集約型産業の方が生産性が高い
2. 『「福祉社会」のコアとなる産業』の顧客は主に政府であると想定されていること。政府が主要な顧客である産業は、一般的に競争が(他の産業と比較し)働かず大きな生産性の向上は望めない
3. 『「福祉社会」のコアとなる産業』のサービスが消費されるのは日本国内のみであり、輸出可能でないこと。これも海外の同じ産業との競争が働かないため、輸出可能が財を生産する産業と比べ大きな生産性の向上は望めない

 主に1について検討しましょう。ここでは労働集約型産業の生産性と資本集約型産業の生産性が比較されています。統計的事実としては、おっしゃるとおりです。ただし、この比較はいかにしてなされたのでしょうか?たとえば、コンピュータの製造業と介護事業の生産性はどのように比較するのでしょうか?言うまでもなく、こんなの比較のしようがないわけです。しかし、それぞれの生産物や中間投入物などなどを価格データを使って貨幣ベースに置き換えれば、あとは四則演算で計算することができます。

 問題は、貨幣ベースに置き換えることの意味です。以前にも書きましたように、「100万円の医療機器」にできることを、「100万円の自動車」でできるわけではありません。「100万円分の介護サービス」にできることを、「100万円分のコンピュータ」でできるわけではありません。「労働集約型産業」の生産物にできることを、「資本集約型産業」の生産物で肩代わりできるわけではありません。ある程度の代替性はありますが、ある程度です。本来比較不可能です。

 さて、以上を踏まえて、先ほどの統計的事実を考えてみましょう。統計的な性質として、「一般的に労働集約型産業よりも資本集約型産業の方が生産性が高い」ということは、生産性(の算出時に必要な貨幣ベースへの置き換え)を前提する限りにおいて、言えることです。これは言い換えれば、「労働集約型産業の生産物よりも、資本集約型産業の生産物の方を高く評価する」という価値判断を導入しているのと同じですから、つまりは、「資本集約型産業の生産物の方が大事です」と直接述べているのと何もかわりません。それを、「生産性」といういかにも客観的な装いが分からなくしているわけです。そこを隠さずに、きちんと政治のレベルで議論しましょう、というのが僕の主張の一つです。

 誤解のないように申し上げますが、「生産性」という指標が無意味だ、と言うのではありません。たとえば、ある産業における生産性を経年変化で見るという場合には、大変重要な意味があるでしょう。国際比較などでも役に立ちそうですね。貨幣ベースへの置き換えも、分析の目的次第では、有用な簡単化になるでしょう。ただ、今回の文脈におけるsvnseed氏がやっているような使い方は、implicitな価値前提の導入のゴマカシであるよ、ということです。

※逆に、労働集約型産業の財を重視するような社会的選択が行われ、そのための政策によってGDP値が減少した場合、「それは生産物の組み合わせを変更したことに伴う変動であり、社会厚生が減少したと理解するべきではない」と主張するための論拠に使うことができますね。このことの意味が分からない人は、貨幣ベースに置き換えて表現された価値がその生産物の本当の価値であるとする本質主義者、ということになりましょうか。こういうのを「イデオロギー」と呼ぶと思います。

 2、3についても、個別の批判は可能ではありますが、議論が錯綜するので、ここでは論じないこととします。

ふたつめのその2

 さて、「mojimojiの主張が非現実的である」と思う理由のその2について。

mojimojiさんは、「福祉社会」を実現するコストを、主に「富裕層」に負担させることを考えているように僕には読める。
……
これは僕には本当に恐ろしい主張に思える。恐ろしい主張であることにmojimojiさんが無自覚であるように思えることがより一層恐怖を煽る。山形さんがポルポトを例に出したのも良くわかる。これには4つの理由がある。以下その理由をmojimojiさんに対する疑問の形で述べる。

まず第一に、この記述は、「富裕層」とは誰なのか、その特定について、(「富裕層」本人ですら異論がないような)明確な基準が存在することを前提としているように読める。しかしそのような基準は本当に存在するのだろうか。

第ニに、「別になくても死にはしない何か」、「なくてもそんなに困りはしないだろう富裕層の贅沢」を判断する基準はなんだろうか。mojimojiさんは、「別になくても死にはしない何か」は誰も保有する必要がないと主張するのだろうか。本人以外に「贅沢」を規定できるような社会とはどんな社会なのだろうか。

第三に、上記2点に係る問題として、これらの基準を判断する主体として、mojimojiさんは誰を想定しているのだろうか。政府、つまり政治家や官僚だろうか。mojimojiさんはそんなに政府を信頼しているのだろうか。それとも、日本は民主主義社会だから国民が判断するのだろうか。それは一体どういう社会なのか。

最後に、これらのこと、つまり「富裕層」や「贅沢」が政府や国民によって決定される社会において、全体のパイが縮小していくとき(経済成長を最優先としないのであればこうした状況は、一時的にせよ、不可避であろう)に何が起こると考えられるだろうか。皆で痛みに耐えるのだろうか。そのような社会が長期的に維持できたとして、それは本当に「福祉社会」なのだろうか。

 これを読んでかなりズッコケタことを、正直に告白しておきます。

 僕の答えはこうです。まず、他は一定にして、高い所得階層に対する税率を引き上げます。累進度を高めるわけです。その変更に沿って税収は増えます。増えた分を払っているのは富裕層です。富裕層の手取りの所得は減ります。このとき、富裕層は、自分たちの基本的ニーズに関わる支出を基本的には維持したままで(当たり前ですね)、それ以外の「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」への支出を減らすはずです(あるいは、貯蓄を減らすなどするでしょう)。いずれにせよ、基本的ニーズに関わる支出は足りています。

 その上で、集まったお金を、税を負担した富裕層も含めて均等に頭割りにしましょう。面倒くさいので。いわゆる「ベーシック・インカム」(BI)ですね。このとき、全員がBI分の収入を得ています。ここで、この操作によって最終的な手取り所得が増える人たちがいますが、この人たちは、まず、自らの基本的ニーズを満たすためにそのお金を使うはずです(貯蓄に回す余裕のある人は少ないかと)。

 すると、あら不思議(でもないけど)、「なくてもそんなに困りはしないだろう富裕層の贅沢」関連の支出が減って、基本的ニーズに向けた支出が増えます。つまり、「富裕層」とは、とりあえず、所得の多い人、で構いません。さらに、「「なくてもそんなに困りはしないだろう富裕層の贅沢」を判断する基準」なんていりません。みんなバカじゃないんだから、自分で考えますよ。

 実際には、BIとして分配するのではなく、介護や医療や教育への支出を拡充する(つまり、医療ニーズや介護ニーズや教育ニーズがある人に厚めに分配する)ということをするでしょうが、それはまさに、政治のレベルで議論しましょうよ。……とまぁ、こういうことをやればいいわけです。その他、資本移動に対する課税などいろいろ細かく検討してもよいことはあると思いますが、とりあえずフローの意味での「富裕」についてのみ、書いておけば、当面の議論上は十分でしょう。

 でも、僕は不勉強でよく知らないんですが、こういうことをやろうと主張すると、ポルポトになるらしいですよ。ポルポト支配下のカンボジアって、累進課税の元で財政支出をまかなうような政策を実行したらたくさん人がなくなった、とかいう話なんでしょうか?そんなまともな行政組織が機能してたんでしょうか?よくわからん。
 
 また、リフレーションなどのマクロ経済政策は、こういう構造をもった経済に対しても効果があります。マクロ経済政策が貨幣ベースで測った経済規模を拡大する効果を持っているならば、再分配に消極的な経済でも、積極的な経済でも、それぞれに拡大することができます。問題は、「福祉か経済成長か」ではなく、「何の経済成長か」ということになります。「パイを大きくする」前に、そもそも大きくするのが「パイ」なのか「ピザ」なのか「ケーキ」なのかを決めましょう、という話です。


 僕は元々、マクロの人って、それなりに比較可能性の議論を踏まえて、僕の知らない別の議論を知っていて、それで安心してマクロ指標を扱っているのかな、とか思ってたんですよ。ですが、今回のやり取りを通じて判明したのは、そもそもそんなこと考えてないらしい、ってことです。山形氏、稲葉氏、svnseed氏とそこに好意的なブコメをつけている人において。これはさすがに意外でした。

 ただ、以上の議論を踏まえた上で、そうではない別の穴がないかなぁ、というのが今、気になっているところです。しょうがないので、自分で考えます。