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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

Attribute=51についての覚書

 興味深いブログではあったんですが、たぶん、このブログに言及したことってないんじゃないかな。ブクマもつけたことないような。要は勇気がなかったんです、きっと。というわけで、この機会にちょっと書いてみました。
 1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51
 要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51
 相手のルールで戦わなければいけない場面で自分のルールを持ち出すな - Attribute=51

すべりこむ自己責任論

 提案されていることが根本的にダメ、というわけではないと思うんですよ。てゆーか、たとえば、「1日1度は外に出る。家の周りを散歩するだけでもいいから外に出る」なんていうのは、試す価値は結構ありますよ。具体的でいいですよね。こういうところが人気の秘訣なんだろうな、と思います。しかし、そういう具体的な行動提起にあわせて事実認識や価値判断を歪める、そういう方向への誘導がたくみに織り込まれているわけですよ。たとえば、「1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば。 - Attribute=51」から。

1 気持ちよく過ごせないのは周りじゃなくて自分が原因です。
2 1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば、きっと強くなれる。

 まず1。気持ちよく過ごせないときには、まず自分の行動や姿勢以外に変えられるものはありません。それは真実です。だから、アドバイスとしては、まず自分の行動や姿勢を省みることは、当然指摘するでしょう。しかし、それは「原因によらない」んです。原因が他人であったとしても、変更できるのは「自分の行動や姿勢」のみです。だから、人は自助努力をします。自己責任なんかなくても、自助努力はするんです。ところが、guri_2氏は「自分が原因です」と言い切る。これに根拠はありません。ただ、これによって、自助努力は自己責任を果たすこととしての意味を付与されます。ここがどうにも変。

 次に2。新たな力を獲得するときには、1ヶ月とか、その程度の期間を集中的に努力する、ということは、おそらく必要なことです。しかし、「きっと強くなれる」わけではないんです。強くなれる保障はないが、しかし、努力は不可欠だ、ということです。十分条件じゃなくて必要条件だ、ということですね。しかし、guri_2氏は「強くなれる」と言い切る。これに根拠はありません。ただ、これによって、なんらかの弱さは努力の欠如としての意味を付与されるわけです。これもやはり変だと思いますね。

 というわけで、個々のアドバイスとしては妥当なアドバイスに添えて(それはもう、陳腐なまでに正しかったりするんだけど)、斜め上から歪んだ認識枠組みが巧みにすべりこんできます。こういうところが要注意。

排除される批判的認識

 あわせて、事実認識や価値判断を自力で作るために不可欠であるところの「文句をいう」という態度を、ことのほか否定するんですね。たとえば、「要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51」より。

文句を言うな、とかそういうことじゃないんです。
文句を言っている暇があったら行動を起こして、状況変えちゃった方が早くないっすか?と思うのです。

 同様に、「相手のルールで戦わなければいけない場面で自分のルールを持ち出すな - Attribute=51」から。

自分の正しさなんか関係ない。
相手がどんだけ理不尽だろうと、それを非難してもビタ一文意味がない。
結婚のとき親に挨拶に行く慣習に納得できなかろうと、
「自分たちの結婚にとって、それが必要な流れである」という状況だったら、
自分の中の価値観なんて関係なくて、相手の土俵に乗るしかない。

 文句を言っている人は、多くの場合、「文句は言う、でもやるんだよ」のはずです。また、やってない人に対するアドバイスは、「文句は認める、でもやろうよ」なはずです。文句そのものが認められないなら、その内容について話をすることになりますが。しかし、guri_2氏は「そんな暇があったら」、「ビタ一文意味がない」と貶める、それ自体を無駄・無意味と規定するわけです。内容ではなく、「文句を言う」それ自体が無駄・無意味なわけです。

 どうも、彼において「文句をいう」ことは「行動しない」といういことと強固に結びついているようです。むしろ、「文句をいう」からこそ「行動する」、できるようになった、というようなこともあると思うのですが。理不尽に立ち向かう勇気は、しばしば、理不尽を理不尽であると認めてもらえることによって奮い立つものです。そういうことがスッポリと抜け落ちているようです。

毒消し、としてのまとめ

 彼において僕が問題だと思うのは、個々のアドバイスであるとか、やたらとポジティブなところ、ではありません。アドバイスとしては割りとまともなことは多いと思いますし、ポジティブさというのは、かなりの程度、趣味の問題でしょう。ついでに言えば、また、彼の場合は、いろいろとしんどい話も踏まえつつもポジティブな姿勢を「選んで」いるようなところはあって、その意味で「単なるポジティブ馬鹿」ではないんでしょうね。でも、重ねて言いますが、問題はそういうキャラクターにある、というわけではないです。僕の考えるところでは。

 問題は、自助努力に対する意味付与、意味付与を自力で考えるための「文句を言う」ことの軽視、そのレベルにあります。おそらく、guri_2氏は、悪意があってやっているのではありません。たぶん、自分のアドバイスに辿り着くまでの一本道の間にある、脇道を全部つぶしていったらああなったんだろう、と思います。つまり、なんらかの行動を起こすのではなく、そこで立ち止まって考えてしまう可能性、そのような選択肢自体が位置づかないような枠組みをせっせとこしらえていったんだ、と思います。限りなく善意から、おそらくは無意識に。

 で、Attribute=51は、guri_2氏のような「良き意図」が、しばしば「自己責任論」に向かって合流していくのはなぜか(本人の自覚あるなしに関係なく)ということを考えるための、一つの典型になっています。向けられたネガティブなコメントの多くは(相当ひどいのもあると思うので全部とは言いませんが)、そういうところに反応してるんだろうな、と思います。その意味で、Attribute=51に向けられたネガティブ・コメントにはおもしろい問題提起があるはずなんですが、guri_2さんがほとんど省みてないのは残念だな、とは思っていました。

 抽象論ではなく具体的なことを一つだけ言えば、たとえば、「1ヶ月間だけ、思い切りがんばれば、きっと強くなれる」について、ご本人も「あの通りやって常に思う通りいくかというと、そんなことはない」って、認めてるんですね。だったら、「きっと強くなれる」の文言について、考え直すべきなんじゃないかと思います。こういうのはレトリックではあるんでしょうが、そのレトリックの部分それ自体が問題になるときには、レトリックとして考え直されてよいことだと思いますし。いわば、この手の「煽り文句」のところに歪みがあって、しかも、先述したような「自己責任論へと引っ張っていく」ような傾向性を持っている、ということです。そういうところを注意したら、少なくともそういうところに反応しているネガティブ・コメントは減るんじゃないかなっ!と思います。*1

 同じことですが、Attribute=51の記事の中に注意すべきものをまるで感じないというファンの方は、少し注意した方がいいと思います。別に、guri_2氏の書いていることを丸ごと否定せよ、というのではないです(この記事のどこでもそんなこと書いてませんし)。むしろ、そういうところに注意しながらでも、guri_2氏が書いている実践的なアドバイスは役に立てられるはずです。しかし、そういうところの注意を欠いた場合には、ヒジョーーに困難な状況を生きている人に辛く当たってしまう人になる可能性があります。それは避けた方がよいことだと思います。というようなことです。

てゆーか

 昔書いたこととほとんど一緒やんか。>励ましが自己責任論に似てくる理由 - モジモジ君の日記。みたいな。

*1:自覚的に自己責任論者であるなら別ですけど、あんまそんな風には見えません。そうなっちゃってるそんなつもりのない人、に見えます。