モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

「似非科学を似非科学的に批判すること」への追記

 二つほどトラックバックをいただいたので、それぞれについて。


 まずはApemanさんから。>「「疑似科学と平和運動」について再び」

似非科学的な人が市民運動やってると、市民運動全体の信用を下げるから問題だ」という発想が「似非科学的な人が護憲を主張してるから、護憲の主張自体もうさんくさい」という発想を「採用」したことになるのか。

 批判の一部としてであれ、それを前提にして批判しているのですから、ならないわけがないでしょう。

ここには確かに考えるべきところはあって、あくまで「それはそれ、これはこれで評価すべき」と原理原則にのっとった反論をすべき、という考え方はあるでしょう。ただし私自身は、上で言及したエントリでも書いたように、陰謀論とか疑似科学的発想は「個別の」誤りではなく「体系的」に誤りを生みだす思考様式だからこそ問題にすべきだと考えているので、例えば「護憲」といったごく荒っぽいくくりにおいては結論が一致したとしてもその内実を検討していけば同意できないことが多々でてくるだろう、と予測する。だから結局は陰謀論的発想や疑似科学的発想を問題にせざるを得なくなると思いますが。

 「陰謀論とか疑似科学的発想は「個別の」誤りではなく「体系的」に誤りを生みだす思考様式だからこそ問題にすべきだと考えている」という部分については、以前、僕はそこを指定して特に同意したところです。>5月5日の記事に星をつけさせていただきました。

 しかし、それは、疑似科学的(と思われる)主張をしている人の主張をその内的な論理関係を示すこともせず、一緒くたにして切り捨ててよい、ということを意味しません。それこそ「疑似科学的」でしょう。南京事件とは別の事件における写真が、南京事件の写真として紹介されていることをもって、南京事件そのものを「幻」と断ずる類の。──つまり、「その内実を検討していけば同意できないことが多々でてくるだろう、と予測」では足りない。その予測を裏付ける引用なりなんなりを、きくちゆみだか誰かの発言から具体的に引いて、疑似科学と親和的な護憲論のどこに具体的に指摘しうる問題があるのかを批判すべきでしょう。そういう手続きをすっとばして大雑把なことをするべきでない、という意味で指摘したわけです。

さらに、「もちろん、「お告げ」の話をする人は、周囲から生暖かく聞き流されるわけ」ならまあいいとして、本当にそうなのか危惧を持っているからこそ市民運動陰謀論とか疑似科学が結びつくことを批判してるわけでしょう(いやもちろん、表立って「お告げ」だと言えばたいがい聞き流されるでしょうが…)。

 聞き流せない人は、それが9条とセットであろうとなかろうと、聞き流せない類の人なだけです。無視するか、「バカ」と一言投げつけておけばいいでしょう。それ以上のことを言いたいなら、「お告げ」の類の主張と護憲論がどのように結びついているのか、きちんと示した上で批判すべきでしょう、ということ。


 次に。「余計なお世話は承知ですが」について。

似非科学的な人が、護憲を主張してるというときに、その似非科学的なところを批判するのは、まぁ、当然だと思う。ただし、「似非科学的な人が護憲を主張してるから、護憲の主張自体もうさんくさい」などという態度は、それ自体が似非科学的だろう。

だれもそんな態度はとってない、と云うか、「ふつうの市民」にそう見えちゃうかもしれないけどいいの? みたいな話なんだけど。

 「誰もそんな態度はとってない」なら、何の問題もありません。ただし、本当に「誰もそんな態度はとってない」ならば、「「ふつうの市民」にそう見えちゃう」の「ふつうの市民」とは一体誰のことなのかがわかりません。つまり、「そういう人はいないが、ふつうの市民はそういう人だ」としか読めないのですが。

 まぁ、ふつうの市民には「そう見えちゃう」そうなので、そう見えてしまうふつうの市民について。これについては「inumash氏へ、「観客席なんかありません」」で書いたとおり。ちょっと文脈が読みにくいかもしれませんが、とりあえず。基本的には、そんな風に見えようがどうであろうが、護憲を支持するにせよ反対するにせよ、自分の責任で自分の主張の根拠は作るなり探すなりするべきで、護憲にトンデモがいようが改憲にバカがいようが、関係のないことです。これで終わり。

いやそりゃ届くかもしれませんよ。世間が「いんちきはいんちき、護憲護憲」って考えてくれるひとばかりだったらいいでしょうよ。良識ある市民ってのはそう云う考え方を一般的にするものなのかも知れません。でも、市民運動が動員しなきゃいけないはずの大半の「ふつうの市民」ってのは、そんなふうに考えてはくれないんじゃないかな、なんてぼくなんかは思う。

 正直、この部分は大変意外でした。──「いんちきはいんちき、護憲護憲」と考えることができないような人に向かって、疑似科学批判なんてものが理解してもらえるとお思いなのでしょうか?「そんな風に考えてはくれないんじゃないかな」が前提であるなら、疑似科学批判も通じないでしょうよ。