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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

排外主義者、あるいは日曜サヨク、その2

 さて、見つけてしまったので、「倫理の一貫性」(@extra innings)という記事について反論しておく。チベット問題を語っているときに、パレスチナはどうなのだ、アイヌはどうなのだ、という論点をぶつけられたとして、それをどう理解するか、という問題。「排外主義者、あるいは日曜サヨク」の続き。

iteau氏の二つの記事について

↑でid:kurotokage氏が提示したリンク先の記事を書いた人がそもそも倫理の一貫性を行動として示してきたか非常に疑問があるのだが、id:kurotokage氏が仮に倫理の一貫性を問うのだとすれば、その対象の取捨選択は恣意的ではあってはならないはずである。

 言うまでもなく、それらは同様に抑圧と侵害の問題系なのであり、「すべてが問題である」と述べるのは当たり前のことである。ただし、人の使える時間は無限ではないから、一人で何もかもについて発言し、行動しつづけることは無理だから、「ある問題で発言している人が別の問題では沈黙している」なんてことは、あって当たり前のこと。そして、それを非難している人は、常日頃権利侵害を問題にする意識を持つ人たちにおいては、管見の限りでは、いない。

 つまり、いかなる線引きがなされているかを、リンク先のiteau氏は勘違いしている。チベットに限って非難する嫌中派が批判されているのは、彼らがチベット問題以外について「沈黙しているから」ではない。チベット問題以外においては、積極的に被抑圧者(と少なくとも想定した上で事実の確認がされるべき人たち)の方を叩き続けてきたからだ。「沈黙してた」じゃなくて、「実際に非難してきた」ということが反問されているはずだ。



 関連して、別の記事の、次の部分を取り上げよう。

 今回のチベット騒乱についての、もっぱら右派(とされる人たちや団体)の熱心さに、根本的に中国への嫌悪と不信があるのは間違いないだろう。これは憶測に過ぎないが、おそらくそうだろうと思う。

 しかし重要なのは、そこで言われるような暴力的な状況が実際にあるかどうかであり、そのような暴力的な状況に対面した時にどのようにそれぞれが処理するのかという倫理的な基準である。

 もしチベット問題に突出して熱心な右派の態度を批判するのであれば、ではどうして左派はこれまでイラクの問題やパレスチナ問題に熱心で、中国や北朝鮮の人権状況、韓国のメディアでときおりみられるレイシズムに不熱心であったのかを自らに問わないのだろうか。

 結局中国が嫌いなだけじゃないかというのであれば、じゃああなたたちは結局アメリカや日本が嫌いなだけじゃないかと言い返されることをどうして予想しないのだろう。
「アイヌ問題を政治利用しているのは誰か」@extra innings

 この問いに対する答えはこうである。これまでパレスチナイラクや戦争責任の問題を問い続けてきた人たちに、「チベットは問題ではないのか」と問いかけたとき、「問題ではない」と述べるならば、iteau氏の言うとおりの批判が当てはまるだろう。しかし、僕も含めて、僕の知る限りの大多数においては、「イエス、チベット「も」同様に問題にされるべきだ」と迷いなく答えるだろう。

 探せばそうではない人がいることを知っている。とある共産党支持者が、「共産党チベット問題では批判をしない」、「しかし、遠いチベットの問題をもって、国内の格差問題などに対抗する勢力を割ってはならない」、との主張をしているのを見かけた(見かけたが、どこだったか忘れてしまった)。僕が「日曜サヨク」と呼んで批判するのは、こういう人のことでもある。──他方で、嫌中(のみ)からチベット問題に強くコミットする人々が何を言っているか。つまりは、「チベット以外の論点についての意見の相違をもって、チベット問題に対抗する勢力を割ってはならない」というわけだ。先に述べた共産党支持者とウリ二つの論理である。

 つまり、「じゃああなたたちは結局アメリカや日本が嫌いなだけじゃないか」と言い返されても、僕は「違う」と言える。なぜなら、最初から「チベット「も」」問題であることを認めているからだ。では、嫌中の排外主義者は、「中国が嫌いなだけじゃないか」と言われて、「イラクパレスチナも戦争責任も、みんな問題だ」と述べるか。述べない。述べられない。だから窮している。窮した末に出てくるのが「チベット問題を批判する勢力を割るな」という言い逃れである。これらは本来、似ても似つかない態度である。

ruletheworld氏のコメントについて

 さて、最後に。これら一連の記事に対する、もう一つの特徴的なスタンスを取り上げておく。iteau氏の一連の記事にもブクマしているid:ruletheworld氏のコメントを整理する。ruletheworld氏は、iteau氏の「アイヌ問題を政治利用しているのは誰か」に対して「激しく同意」し*1、続く「倫理の一貫性」については次のコメントをつけている。

そうやって言葉をつくしても、リンク先のように、俺様倫理の正しさに酔って「他人に内在する一貫性の倫理」に対して完全に思考停止している相手には通じないんだけどね
http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//d.hatena.ne.jp/iteau/20080329/p1

 さて、このコメントが示唆しているのは、モジモジが想定するのとは違う別の一貫性なるものがある、ということなわけだ。これはつまりこういうことだ。「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」なるものが存在する。おもしろそうなので、それを詳らかにもらいたい、と思う。──そこにある一貫性こそが、つまりは「中国が嫌い」というものでしかないのではないか、ということが、この間、問われ続けていることなのだ。だから、「別種の一貫性がある」では何の反論にもなっていない。その一貫性を具体的に示せ、と言われているのだ。それを示せない・示さないとするならば、それは「自身に内在する一貫性の倫理に対して完全に思考停止している」ということだろう。


 ついでに。僕の先の記事につけられたタグとコメントについて。

ruletheworld やれやれ, 志村ー!後ろ後ろ!, 鏡に向かって話す人 (´-`).。oO(これって自己批判ってやつだよな

 当該記事は自己批判「でも」ありうることを認めているのですが。だから、先の記事を、僕はこう締めくくった。──「日常的に尊厳や権利を白眼視し、小バカにし、踏みにじってきた、あるいはそこまでではなくとも、少なくとも無関心によって見殺しにしてきたあなた/わたしこそが、今日の事態を招いたのだということを、肝に銘じておかねばならない」。ここに「わたし」を含めたのは、この記事が自己批判でありうることを認めるからだ。

 ただし、僕は主観的には、一貫したものを作ろうと考えている、行動しているつもりではある。僕のやる気と体力だけを制約条件として、できることはやり、やらないとしたことはやらないが、少なくとも誰かを踏みにじることに加担する発言・行動はしないように心がけている。しかし、それが意図と違う効果を持ちうることは認める。それは、僕においては、気づくことができないから、「おまえのやっていることはそうはなっていない」と考える人があれば、そのように具体的な指摘、批判をしてほしいと思っている*2。──僕は自分に内在する倫理についても、他人に内在する倫理についても、少なくともこの記事に明らかにした程度には自覚的に考えている。思考停止しているのは、ruletheworld氏ではあっても、僕ではない。と、一応述べておく。

*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//d.hatena.ne.jp/iteau/20080328/p1

*2:そう簡単に同意したりはしないだろうが、同意しないならば、同意しないなりの理屈は示すだろう。