モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

「二つのB層」のリアリティ

 橋下を支持した人々は、たとえば「福祉を削らずして財政再建はありえません」などという信念を「現実的だ」という。富裕層*1へのさらなる負担増は「非現実的」だが、社会的弱者への支出を削ることは「現実的」なのだ。ここに、現状よりもさらに支援を削り取ったところでの社会的弱者にまともな生活が「現実的」かどうかを頓着する感覚はまったくない。

 ところで、「希望は戦争」と言い放った赤木智弘のリアリティの一端は、たとえば次のようなものである。

 金持ちや権力者が恵まれているのは、血筋や家柄という固有属性を持っているからであり、彼らが戦争で死んだとしても、その利権は、固有属性を持たない私には絶対に回ってこない。一方で、血筋や家柄を持たない安定労働層と、我々のような貧困労働層との交換可能性は非常に高い。安定労働層は、「たまたま」安定した生活を得られているだけである。念のために言っておくが、私は「努力」などという、結果から遡及してはじきだされた、彼らに都合がいいだけの言い分を認めるつもりはない。
赤木智弘「続「『丸山眞男』をひっぱたきたい」、『論座』2007年6月号、p.117)

 赤木の「リアリティ」は(少なくとも)橋下を支持した183万2857人の「リアリティ」と噛み合ってしまっている。どちらも社会を構想することに絶望しているか最初から放棄するかしており、自分の直下/直上の人間との奪い合いのみが「リアリティ」を持つと、こういうわけだ。ここで赤木が述べていることは、実にバカバカしい認識だとは思うが、しかし、このバカバカしさを笑えない人々が少なくとも180万あまりいたのである。安定雇用B層*2と貧困B層ががっぷり四つに組んでいる、という状況なわけだ。

 実にバカバカしいが、両者をバカだといって無視するだけでは済まない。このバカたちが互いに噛み合ってくれるだけならいいけれど、見た目で区別がつくわけじゃなし、この大バカ相撲の巻き添えに合う可能性だけは残る。実に迷惑。

*1:そこに「中流」を加えてもいい。

*2:とはいえ、赤木が言うほど「安定」している人ばかりではなかろうけど。