モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

「ネガティブ・キャンペーンだ!」というネガティブ・キャンペーン

 元々、ネガティブ・キャンペーンというのは、政治家としての資質とは関係のないプライベートな問題や短期に確認を得ることのできない不名誉なニュースを流すことで相手候補の得票減を狙う「汚い」選挙戦術のことを指していたように思う。

 熊谷による橋下への攻撃がどの程度のものであったのか、僕が見た範囲のことでしかないけれども、どこが(上に言う意味での)ネガティブ・キャンペーンだったのか、さっぱり分からない。ネットでの「橋下に投票するな」との呼びかけについても同様。批判の材料とされていることは、核武装徴兵制支持、「買春はODA」、「ニートは拘留・労役」、「納税してない人間に生きる資格はない」等々の発言の数々。全部、政治家としての資質や思想に関わる重要な論点や感覚に関わるものばかりではないか。こうした事実に基づいて「あんな輩を府知事にしてはいけない」と述べることの、どこがネガティブ・キャンペーンなのか(熊谷氏について言えば、賛成できないのは、むしろ、政策の方だ)。


 橋下の支持者は、上にあげたような橋下の発言の数々に賛成であるか、少なくとも問題にしていない。

 しかし、それを、そのように直接述べるのははばかられるのか、それを批判することを「ネガティブ・キャンペーンだ」と言い募り、非難されるべきことをしているかのように語るわけだ。しかし、2秒ほど落ち着いて考えてみれば、まったく中身がないことは明白だ。もっと直裁に、「買春はODA、何が悪いのか」、「納税していない人間は死ねばいいのに」と、自分の口で、手で、橋下と同じ主張をなぞってみればいいのに。そうした価値判断それ自体に自分がコミットするのだと、誤解の余地なく示せばいいのに。それだけはしないんだよな。「高齢者ら社会的弱者の予算が減るかもしれないが、それは仕方ない」も同じ。これも、支持する連中は、それをその意味において堂々となぞって、自身の主張であることを明確にすればいいのに、それもしないんだよな。


※ちなみに、この発言は公明党の批判で撤回されたらしいのだけど、最終的に「「誰の耳にも聞こえのよいプラン」ではなく」などという小ざかしい表現になっている。このどうしようもない不誠実さは一体何なのか。

※以上、関連するかも、な記事。>「運動の戦略、とか言われるものについて」