モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

橋下を政策で選択する人たち

 彼は知名度ではなく、れっきとした政策で選ばれた。その政策とは、彼の次の発言に象徴されるような政策である

 高齢者ら社会的弱者の予算が減るかもしれないが、それは仕方ない。

 彼は、誰かを切り捨てることをあらかじめ明言した唯一の候補である。そして、それこそが支持されたのだ。自分こそが切り捨てられると確信し、それもまた必要だと覚悟を決めて投票したのではあるまい。切り捨てられるのは自分ではないと確信する人こそが投票したのであろう。橋下に投票した(できた)人とは、そういう人々なのである。──貧困層の老人が路上に放り出されようが孤独死しようが、それは仕方がない、という人々なのである。その他社会的弱者の問題は、現在でもまったく不十分であるのに、そのための手当てをさらに削っても仕方がない、という人々なのである。

 それだけではない。高齢者福祉をはじめとして、福祉政策にたいする見識を持ち、それに基づいてどこまでのことが可能なのか、ということを真剣に考える知的態度を有さない、ということである。そんな面倒くさいことを考える手間は省いて、手っ取り早く「切捨て」「仕方ない」とだけ言う方が簡単だ、という態度なのである。これは政策以前の問題である。──橋下を政策において選択する人たち、こういう人たちこそが最大の問題なのだ。対立は政策ではなく、政策の前提たる価値の次元にある。


※ ついでに言えば、橋下を選ぶ人たちは、自分たちが何をやっているのかを自覚していない。あるいは、自覚しないようにしている。これは小泉を選択した人たちとまったく同じ。自分たちが「誰かを切り捨てている」ということを支持したという自覚はなく、自覚がないゆえに、胸を痛めることもなく、当然、反省もない。自己欺瞞こそが、このような選択を可能にしている。