既に承認されて在ることを信じる
「承認は分配できるか(財のように)」、後半部分について。
「「財の」分配という問題は立てられるが、「承認の」分配という問題は立てられない」、というところまでは、そうだと、やはり思う。その先を考える。
では逆に、誰からも承認されずに、それでも生きていくことを肯定できるだろうか?他者からの承認は、心地よい。時々、そのためにこそ生きているかのような錯覚さえ起こす。しかし、それは錯覚のように思える。誰からも承認されないとしても譲れない、というものは、自分の中にもあるような気がする。他者からの承認など不要だ、と言えるだろうか。言える。過去の幾つかのことを振り返って、自分の今の時点での見解として述べるならば、他者の承認は心地よいが、しかし、絶対不可欠のものではない、と、思う。より根本にあるのは、自分が自分を承認する、ということだと思う。
「他者からの承認など不要だ、と言える」、と述べた。これは本当だろうか。ということを、考えあぐねている。自己承認は重要だ。しかし、自己承認は、承認されているという感覚の中ではぐくまれるものではないのか。「最初の承認が重要ではないか」というfont-daさんの指摘も、そういうものだと思う。引用する。
font-da: 承認の要は一回目だと思います。
一回、承認されてみないと、承認がどんなもんかわからない。
逆に言うと一回されておけば、後は模倣による学習で、自分で自分を承認できる。
承認の問題が、特に親子問題で取り上げられるのは、そこでは?
これは分かる。最初の一回は、確かに重要だ。しかし、問題は、それが不可欠なのか、ということだ。
揚げ足取りのようになるが、次のように考えてみよう。
自己承認が、最初の他者(多くは親)による承認から生まれてくるのだとすれば、その親は誰に承認されたのか。──そのまた親から、ということになるのかもしれないが、このまま辿っていくならば、無限背進に陥る。最初に1をつくってしまえば、2、3、4を定義するのは簡単だ。しかし、最初に1をつくること。それが問題だ。
別様に考えてみる。どのような辛い瞬間においても、その人の肉体は生きてある。いわば、肉体と肉体の置かれた世界の構造、ありとあらゆる自然界の法則は、そこにそのような存在者がいることを承認している。その場において、我思うゆえに我あり、なのだが、そのように我があることは、その場で可能になっており、いわば、世界がそれを承認している。
そもそも、承認とは、具体的な誰かが承認することによって「創造される」ものだろうか。そうではないように思える。承認とは、私たちが生きてあることの中に「発見される」ものではなかろうか。他者の承認も、たとえば、私があなたを承認するというときにも、あなたは私の承認によって「創造される」のではなく、「発見される」のではないか*1。
あるいは、違う言い方をしてみよう。わたしからあなたへの承認が「創造」されるとき、承認されるあなたが「発見」される。
こういう構図になっている。ところが、承認の問題が人と人の関係性のレベルの問題としてのみ考えられるとき、承認されるあなたがそもそも最初からそこにいたのだという事実が忘れられているように思う。その人は、これまでもあったし、これからもある(たとえ、3秒後に死んでしまうとしても)。既にある、ということを、肯定として受け取ることが、信仰ということなのかなぁ、とも思う。
自分について、誰でもが、このように考えられる、というわけではない。誰でもが、このように考えるべきだ、というわけでもない。信仰は、信仰することが正しいから信仰する、というものではない。ただ、私たちには、そのように考える可能性が開かれている。少なくとも、そのように考えることを否定するものを見出すことができない。そこに、信仰の可能性は開かれている。後は、私たちの精神の強度が試されている。──ただ、私たちが生きてあるという事実について時間をかけて考えてみるなら、このようになるのではないか。以上、問題提起として。
※以上、↓の本を思い出しつつ。
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※最後に、詩を一つ紹介する。ドラマ「わたしたちの教科書」より。>公式サイト
明日香より。明日香へ。
わたし、今日死のうと思ってた。ごめんね。明日香。
わたし、今まで明日香のことがあまり好きじゃなかった。
ひとりぼっちの明日香が好きじゃなかった。
だけど、ここに来て気付いた。
わたしはひとりぼっちじゃないんだってことに。
ここには8才の時のわたしがいる。
わたしには8才のわたしがいて、13才のわたしがいて、
いつか20才になって、30才になって、
80才になるわたしがいる。
わたしがここで止まったら、
明日のわたしが悲しむ。昨日のわたしが悲しむ。
わたしが生きているのは、今日だけじゃないんだ。
昨日と今日と明日を生きているんだ。
だから明日香、死んじゃだめだ。生きなきゃだめだ。
明日香。たくさん作ろう。思い出を作ろう。
たくさん見よう。夢を見よう。明日香。
わたしたちは、思い出と夢の中に生き続ける。
長い長い時の流れの中を生き続ける。
時にすれ違いながら、時に手を取り合いながら、
長い長い時の流れの中を、わたしたちは、歩き続ける。
いつまでも。いつまでも!
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*1:そういやこれと真反対のことを言った学者さんがいたなぁ。