真理と政治的正しさ
政治的に正しいとされることに遠慮せず、真理を臆せず述べること、それが学究の責務であると、妙に肩肘はって言われることがある(それも、肩肘張ってない風に言われる)。その誠実さはどの程度のものであるか。
1.何が政治的に正しいか、はとりあえず措く。政治的に正しくないとする非難があるとして*1、そのときに、「私はそんなことには頓着せず、ただ自らが真理だと思うものを述べ、それを探求するのである」と述べるとしよう。
2.この潔さ自体が、対抗的な「政治的正しさ」として押し出されている。ここで既にコケていると見なすこともできるが、これを見逃すとしよう。
3.しかし、それでも致命的に思えるのは、次のことである。こういう態度は、政治的に正しくないとする非難に関わる真理を直視しない。とりわけ、自らの果たしている政治的役割についての真理を直視しない。
つまり、自らの好みにしたがって真理を取捨選択しているだけのことである。それは真理への距離を意味せず、取り扱う真理の範囲に関わる*2。