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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

言語/存在における否定形の問題

 「「対案についての思考」を禁止します」@(元)登校拒否系
 私たちは、「白木屋ではない場所に行こう」と言うことができる。しかし、「白木屋ではない場所」に実際に行くことはできない。より正確に言うならば、「白木屋ではない場所」としか言い表せない場所にいくことはできない。それは白木屋の店の前であったり、近くの公園のベンチであったり、別の店であったり、それ以外のどんな場所であれ、具体的などこかにある具体的な場所なのである。──つまり、私たちは、言語において否定形を用いることはできるけれど、存在において否定形で存在することはできない。


 さて、僕はこう述べた。──「「対案を出せ」論法が批判そのものを封じ込める恫喝として作用するのに対して、批判が「対案についての思考」を停止させるような形で作用することがあるのだ」(「「対案を出せ」論法について」)。これに対して、常野氏は次のように述べている。

つまり、白木屋に異議を唱える者も、ただイヤだイヤだと駄々をこねているばかりでは、対案がないならだまって白木屋について来いと恫喝する者と同じ穴のムジナなのです。ただ拒絶するだけでは、よりよい店を見つけるという課題を放棄していることになってしまいます。しかし、mojimojiさんは対案は絶対になくてはならないものだと信じています。なぜならば、「ある瞬間を空白にしておくことはできない」からです。

 しかし僕が言っているのは、まさに「対案についての思考」を停止せよ、ということです。

 ここで指摘しなければならないのは、対案の拒絶は、存在においては単なる拒絶──否定形──を意味しない、ということである。つまり、この拒絶は、「白木屋の前*1」という場所に、相手を一方的に縛り付けるように作用している、ということだ。「対案を出せ」論法が相手を「白木屋」に縛り付けるのと同じように。「ある瞬間を空白にしておくことはできない」というのは、このような意味である。拒否は、決定の不在を意味するのではなく、明示されない具体的内容についての決定である。否定形のヴェールを剥ぎ取ってみるならば、「対案拒否」論法がなすことは「対案を出せ」論法と変わらない。


 そして、さらに驚いてしまうのは次の箇所である。

もし、食いたくない、という人をどこかの食い物屋に連れて行きたいのだったら、飲んだり食ったりすることがすばらしいことであるか、必要なことであるということが示されなければなりません。

 示すのは、もちろん、「どこかの食い物やに連れて行きたい」=対案を示した方である、こういうわけだ。……しかし、なんでこうなっちゃっているのか。二人が白木屋に行くのかどうかを問題にしていたのだとすれば、それは元々は「これからのしばらくの時間を私とあなたはどこでどのように過ごしましょうか」という問いだったはずである。それがここでは、いつのまにやら「どこかの食い物やに行きたい」誰かが「行きたくない」もう一人を説得するという話にされてしまっているのである。「私たちの問い」を「あなたの問い」に変換してしまっているのである。対案拒否論法が「対案を出せ」論法と相似形であると言ったのは僕自身なのだが、ここまで似てしまうというのはさすがにマズイのではないか*2


 おそらく、常野氏はわざとやっているわけではない。「対案を出せ」論法の使用者が自覚的ではないのと同じように、意識してはいないのではないか。こうしたことになってしまうのは、悪意からというよりも、言語と存在の区別を意識しているかどうか、という違いであるように思える。<イジメを傍観すること>が、しばしば「直接イジメに加担してはいない」と表現されるのと同じように、否定形の扱いは殊にクセモノである。

 ここで昨日の記事の結論を繰り返そう。対案論法は拒否されるべきである。しかし、私たちの存在の形式ゆえに、具体的な場所としての対案は要請される。──常野さん、やっぱ、その道は違うと思うよ。と、とりあえず呼びかけておく。


※「なぜ貴戸理恵さんまでもが「空理空論」の「学校廃棄論」者に分類されてるのか謎です。貴戸さんのこれまでの本にそれっぽいことって出てたでしょうか?」とのことですが、貴戸氏は、トークラジオでの一連の発言にも関わらず学校廃棄論者ではない、ということなのでしょうか?あれだけ学校廃棄論をラディカルだと持ち上げて、(それだけでなく)何か一つ疑問をぶつけるどころか「漢字や九九」に関する疑問さえ常野氏に問いかけるまでもなくご自分で反論されていた貴戸氏は「学校廃棄論者ではない」ということでしょうか?そうなのだとしたら、そもそもこのトークラジオは貴戸氏の立場表明の一部でさえなかったといことなのか。いろいろ可能性があって分からないのですが、そうなのだとすれば、とりあげたこと事態が的外れだったのかもしれません。(そうなのだとすれば)いずれにせよ勘違いは勘違いなので、撤回と謝罪をしたいと思いますけども。実際どうなんでしょうね。

*1:別に、場所を移してもいいけれど。

*2:最初から、一方が他方を誘っている、という設定であったのならば、それもまた違う話になっている。