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はてなダイアリーから引っ越してきました。

今こそ原子力政策を見直そう

 新潟の地震のニュースを見ながら、被災された方々は本当に災難だったけれども、原発の事故があの程度で済んだのは不幸中の幸いだったな、とホントに思う*1。けれども、今回の地震を教訓に、世界一の地震大国で大量の原子炉が稼動しているということの意味を考え直す必要がある。今回は幸運だった。しかし、幸運に恵まれることを前提にした社会を作るのはあまりにも恐ろしい。

※ 以下の記事を読んでも読まなくても、危険地帯の原発の即自停止に向けた署名にご協力を!署名、4月で一端終わってますね。勇み足。また、情報集めてみます。>原発震災を防ぐ全国署名
※ 「今回は幸運だった」と↑に書いたけれども、でも、全然そうでもないみたい。事故の全貌が明らかになると一体どういうことになるのか。>「日記:原発ダイジョブじゃないよ」@P-Navi infoならびにそこから辿れるリンク

前提としての電力市場概況

 近年の日本における電力市場は、(1)電力自由化による単価切り下げ、(2)電力需要の伸び悩み、という状況にある。(1)は、まっとうな規制緩和の結果として生じていることであり、(2)は産業の空洞化(そして、その穴を埋める産業が大した電力を必要としないこと)のために生じていること。いずれも、それ自体として問題があるわけではないから、これら二つの環境の中でいかに収益性を高めてゆくのか、ということが電力会社にとっての課題である。言い換えると、「いかに大量の電気を安定して供給するか」ではなく、「ある一定量の電力をいかに効率的に供給するか」が重要、ということ。

 じゃ、できるだけ安価に、というとき、原子力は他の電源(火力や水力等々)と比べて、どうなんだろうか。「原子力は経済性が高い」などと言われたりするのだけれど、原子力発電の費用便益分析には注意すべき点がかなりある。

低コスト?(1)──稼働効率と事故リスク

 第一に、固定設備である原子炉を長期間稼動させれば、それだけ単位発電量当たりのコストは下げることができる。しかし、老朽化した原子炉は破壊や故障による事故のリスクを増大させる。で、老朽化による事故リスクは、「専門家」と呼ばれる人たちの匙加減一つで変わる。たとえば、従来原発寿命は40年であったが、1995年からは60年へと、20年延長された。特に目立った技術進歩があったわけでもないのに。

 第二に、さらに、発電コストを下げるためには、稼働率を上げることが必要になる。そのため、できるだけとめずに動かし続ける、定期検査を減らす&できるだけ短期間に終わらせる、トラブルの際もできるだけ停止しないで調査する、といった運用が行われる。当然、すべて、事故のリスク(とりわけ、小規模な事故が大事故へと発展するリスク)を高める。

 つまり、目に見えるところの経済性を高めるために、見えにくいところの経済性=安全管理を犠牲にしているのである。事故リスクを低く見積もることによって計算上低コストに見えているだけ。粉飾決算と言っていい。

低コスト?(2)──廃棄物リスクに関わるコスト

 さらに、第三に、廃棄物のリスクがある。原子力は「トイレ無きマンション」と呼ばれたように、最初から廃棄物対策などロクにないままにスタートした。で、その廃棄物は増える一方、貯蔵する以外にどうしようもないのだけれど、その管理費用、管理失敗リスクは、費用として勘定されていない。ここでも、見えにくいコストを見ないようにすることで、見かけ上の低コストを作り出している。

 どうして廃棄物についてここまで無計画だったのか。それは高速増殖炉計画によって、プルトニウムを含む「核のゴミ」は、向こう数百年のエネルギーをもたらす「宝の山」とされていたからだ。しかし、高速増殖炉開発は困難を極め、各国は開発を断念、これをエネルギー政策の大前提に組み込んでしまった日本だけが引くに引けないまま、未だに開発に専心している。

 で、この高速増殖炉、いつになったらできるのだろうか。日本の原子力政策がスタートして約50年たった2005年、原子力政策大綱において、2050年(約50年後!)から商業ベースでの発電を行うという目標を掲げた。つまりは、「見通し立ちません」ということなのだ。「トイレなき」まま来た50年、それが100年続く、ということらしい。しかも、これは楽観的な見通しである*2

低コスト?(3)──その他もろもろ

 こんな事情もあり、日本のエネルギー研究への支出は、圧倒的に原子力技術に関するものであり、新エネルギーに対してはずっと小規模な研究助成しか行われていない。たくさんの可能性を手広く追求した末の原子力ではなく、引くに引けない原子力にこだわり続けるがために、新しいエネルギーの可能性を犠牲にしているのだ。この逸失利益を(算定不能だが)第四のコストと考えることができるだろう。

 さらに、第五に、被曝労働者の問題がある。もう疲れてきたので簡単に済ませるけれども、死んだ場合はともかく、そこまでハッキリしない健康被害については事実上何も考えていない。僕は今回初めて知ったのだけども、青森・六ヶ所村の再処理工場に関連して知事や県議会議員が疑問をぶつけたところ、原子力技術協会会長の石川迪夫氏は、再処理する限り内部被曝は起こるとした上で「百姓に泥がつくのと同じ」と述べたそうだ。驚くべき感覚である。


 そろそろ疲れたので終わる。ともかく、キリがない。何をどうやったら原子力が「安価な」エネルギーになるのか、まったく理解できない。それでも安価だと言う人には、それぞれ何を幾らで計算しているのか、つまびらかにしてもらう必要がある(というより、費用便益分析ってのは計算プロセスを見ないでいては、ほとんど何の意味もない)。

 温暖化はどうなるんだ、という声もあるかと思うので、その点、また別記事として上げる。


※ 以上、『アジェンダ第6号 2004年秋号 特集:これからのエネルギー』、『アジェンダ第14号 2006年秋号 特集:原発に未来はない!』より。特に第6号の小林圭二「崩壊する日本の原子力政策」を参照。しかし、この雑誌は他の号も本当にすばらしい。分かりやすく簡潔にまとめられた文章ばかり。反対するにせよ賛成するにせよ、入り口にするには本当に良い文章ばかり。注文は次のサイトから。>アジェンダ・プロジェクト

※ それと、読んだことある本として、以下の2冊。『闇に消される』は、衝撃の内容。

闇に消される原発被曝者

闇に消される原発被曝者

原発被曝―東海村とチェルノブイリの教訓

原発被曝―東海村とチェルノブイリの教訓

※ 今、タレコミがあって、こんなのもありますね。なかなかよさげ。>「知ることからはじめよう beyond the nuclear age」

*1:もちろん、報道されていることが事実であると仮定した上での話だけど。

*2:さすがに半世紀も先延ばししてほっかむりを決め込むわけにも行かないからか、高速増殖炉が当面無理だということから中継ぎとして「プルサーマル計画」が出てきたのだけども、詳述はしないけど、これもまた中途半端な話で、一国のエネルギー政策の将来をたくせるアイデアであるとは、とても思えない。