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権力への適応と抵抗──単位クレクレダメ学生を考える

 承前。>権力と教育
 多分、単位クレクレダメ学生ってののイメージが違うんだろうな。単位クレクレダメ学生ってのは、教師の権威に対する反抗でも不適応でもない。権威や権力に対する適応の一形態に過ぎない。


 こういう学生が「なんで勉強なんかしないといけないんですか」という、根元的な問いを持ち込むことはない。そうではなく、「何かレポートとかでなんとかなりませんか」とか、代替的な提案を持ってくる。彼らは、問わない代わりに、取引を持ちかけるのである。その意味で、単位のために勉強する真面目な学生(これもまた適応である)となんら変わるところはない。

 つまり、適応する学生と反抗する学生がいるのではない。各人各様の適応をする学生がいるのである。「無試験で全員「優」」というやり方を取ると、全員がその戦略に適応し、「全員に一律の厳しい試験を課す」というやり方を取ると、やはり全員がその戦略に適応する。どちらも権力そのものは無傷である。もちろん、後者の手段を用いるとドロップアウトする学生も出てくるだろうが、それが権力を揺るがす要素を何一つ持たないのであれば、権力への適応となんら変わるところはない。そして、こういう彼らが一致して関心を持っているのは、所詮、適応コストの最小化に過ぎない。


 権力とは、力の行使そのもののことではない。そんなものならありふれている。権力とは、単なる力のことではなく、そのように行使する理由を述べることなしに行使できる力のことである。だから、権力に抵抗するとは、その力がそのように用いられる構築的な理由を明らかにすることと同じである。これを明らかにしようとする態度だけが、権力への抵抗を形作るのである。単位のためだけに勉強する学生も、単位のためだけに取引にくるダメ学生も、そのような要素を持たない以上は、同様に権力への適応である。

 その点で言うと、sis7氏の次の発言は、権力行使の形態としては最悪のものの一つである。

よっしゃ!僕今日から与党を支持しよう!*1

彼がどの政党を支持するかは、彼自身が決めることができるのであり、それは彼自身の(小さくとも)権力行使である。で、彼は与党を支持する構築的な理由を述べることなく、それを隠蔽し、かつその責任を僕に負わせようとしているわけだ。権力を理解することなく嫌悪するとき、人は権力そのものとなる。それを彼は見事に示したと言える。


 適応そのものを問題にしなければならない。勉強しない学生に対しては「なぜしないのか」と問い、勉強する学生に対しては「なぜするのか」と問う。答えたら答えたで、「なぜ答えるのか」と問うてもよい。さらに、「このように問いかけに問いかけを重ねて、答えに窮させることのできる力」について説明してもよい。自己言及に自己言及を重ねていく。そして、再び最初の問いに戻りもする。──権力について理解させるというよりは、権力という概念と、消化しきれないままに戯れてみて、少し動揺させる、という程度のことなのだろう。それ以上のことができるならやってみたいが、そもそも魚に水の中にいることに疑問を抱かせるようなことなのであるから、無理を承知で試せることを試す以上のことではない。しかし、それでも、考えること、語ることの先にしか希望はないから、考え方、語り方を手を変え品を変え、試してみるより他はないのだ*2

*1:http://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070617/1182037288

*2:その可能性が信じられなくなったら、この仕事やめるだろうな。あるいは、この仕事に付随する既得権を手放したくないから、その可能性を信じるのだろうな。