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李登輝・靖国参拝発言をめぐって

 台湾元総統の李登輝が来日、取材に答えて、「行く時間があるかないか、(日本に)行ってみないとわからない」、「兄貴がまつられているのに行かないのは人情としても忍びないことだ」と述べたらしい*1。状況が許せば参拝したい、ということだ。実際に参拝するのかどうかは分からない。いずれにせよ、この認識そのものについて問うことはできる。あるいは、その問い方について問うことはできる。それを考える。

李登輝靖国参拝(あるいはその支持)が意味するもの

 李登輝靖国神社を参拝することは、「私人の自由な行動」として不問に付されてよいことだろうか。さしあたり、二つのレベルで批判が可能だ。第一のレベルでの批判は、比較的簡単なものである。「私人の自由な行動」は、そもそも批判されてはならない、ということはありえない。たとえば、李登輝の政治信条を問題にする立場から、「日本に入国させるべきではない」とか、「靖国周辺への立ち入りを制限すべきだ」とか、そのようなことを主張するならそれはおかしいが、しかし、単に靖国へ行くことの意味が問うことが制限されるべき理由はない。「靖国を参拝する自由」と「靖国参拝を肯定する意見を言う自由」は、「靖国参拝を批判する意見を言う自由」と両立する。この点は、自称・リベラルが(知ってか知らずか)頻繁に用いる詐術である。

 このことを確認した上で、第二に、靖国参拝が意味することについて、批判しよう。李登輝との関係で特に重要だと思われるのは、台湾原住民族による「還我祖霊行動」である。少し長くなるが、引用する。

 二〇〇五年六月一四日朝、靖国神社の空はよく晴れていた。しかし、神社周辺は騒然たる喧騒に包まれていた。
 この朝、台湾原住民族約六〇名が、宿泊先のホテルから二台のバスで靖国神社に向かっていた。第一鳥居前において、合祀されている原住民族の祖霊を故郷に連れ帰る儀式を行なうためであった。タイヤル族、バイワン族、ブヌン族アミ族、ダウ族、ケマラン族、ピーナン族、タイルコ族の人々がそれぞれ民族衣装を着て、歌や踊りの儀式「還我祖霊」を行なう予定であった。
 還我祖霊行動を行なうに先立って、タイヤル族の立法委員*2高金素梅(民族名チワス・アリ)さんは「事実上、日本軍に殺されたのに、日本国に殉じた神として靖国にまつられることは民族の意思に反し、侮辱だ。先祖の魂を故郷に取り戻すことが私たちの使命だ」と語った。第一鳥居付近で儀式を行なうことについては靖国神社から事前に黙認というかたちで了解を得ていた。
 しかし、その朝の靖国神社周辺は、日本の一部政治勢力が街宣車を使って、台湾原住民族の還我祖霊行動の阻止を扇動し、異常な様相を呈していた。
 バスが神社に近づいた。すると、警官隊が第一鳥居から約三百メートル手前の路上にポールを立て、バスの進行を制止した。その瞬間、政治団体員、警官隊、報道陣ら数百名がバスの周囲に殺到した。一体は怒声が飛び交い、一段と緊迫した状況になった。
 警官隊はバスの周囲を固めるとともに、窓から外を見えないようにした。そして、代表として三名だけの下車を命じた。窓から降りようとする原住民族と降ろさせまいとする警官隊がもみあう場面もあった。
 下車した高金素梅さんらは警官隊に激しく抗議した。取締りの対象となるのは原住民族ではなく、還我祖霊行動を阻止しようとする政治団体員の側である。しかし、警官隊は「これ以上進むと安全は確保できない」と言って、それ以上の進行を認めなかった。
 喧騒のなか、約一時間半ほど警官隊と押し問答をした後、原住民族は返我祖霊行動の中止を決めた。高金素梅さんらは、ハンドマイクで「祖先の霊を私たち民族の方法で葬りたい。魂を靖国神社から解放したい」と訴えた。
 原住民族は、日本の政治団体の「帰れ」の罵声と一体となった警官隊の制止行動によって、還我祖霊行動を断念した。願いむなしく、原住民族の遺族たちは、「高砂義勇隊員」として殺された肉親の祖霊を靖国神社から取り戻すことはできなかった。
 警官隊が守ったものは原住民族の「安全」ではなく、靖国神社の「祭神」である。
 これが初の試みである台湾原住民族の「還我祖霊行動」の一部始終であった。(pp.3-4)

還我祖霊―台湾原住民族と靖国神社

還我祖霊―台湾原住民族と靖国神社

 そもそも、死者の遺族を踏みにじるような形で勝手に祀るという靖国神社のあり方が最初からおかしいということでもあるが、問題はそれに止まらない。それを支え暴力を行使する人々が問題であり、見当違いの方向を向いている警官隊が問題である。それだけではない。それを止めることのできない、あるいは黙認している日本社会の構成員一人一人の問題でもある。靖国神社がやることは、日本民族の名において、日本国家の名において、日本政府の名において、反復されているのだ。私たちもまた、そこで行なわれた暴力をなぞっているのである。傍観者など存在しない*3。──そして、同様に、李登輝の参拝支持あるいは参拝は、これを李登輝個人の名において、台湾元総統という権威の名において、台湾人の名において、反復することである。

 個人的なことが、個人的なことこそが、政治的である。ある思想や行為は、その人にとっての意味だけでなく、他の人にとっての意味を同時に持ってしまう。李登輝が「兄」を持ち出しただけで、それ以外の文脈が消え去るわけではない*4

人々を分断する/結びつける参拝/参拝拒否

「では、李登輝靖国を参拝するなと言うのか、それこそ暴力的ではないか、兄への想いはどうなるのか」、このように騒ぐ者たちがいるだろう。こういう人たちは救命ボート問題よろしく、問題を「誰を踏みにじるか」という問いとしてのみ理解しようとする。「誰をも踏みにじらない道を模索する」ということがない。僕は参拝するなとも、参拝せよとも、言っていない。

 では、どうせよ、と言うのつもりなのか。参拝するかしないかは、僕にとっては、基本的に問題ではない。僕が問題にしたいのは、参拝の仕方、同時に、参拝拒否の仕方である。簡単に言えば、人々を引き離すような参拝の仕方があり、参拝拒否の仕方がある。人々を結びつけるような参拝の仕方があり、参拝拒否の仕方がある。──たとえば、僕ならば、次のように述べて、参拝したりしなかったりするだろう。

「私の家族が、靖国神社に祀られている。家族として、その祀られている場所にいって、手を合わせたいと思う。しかし、靖国神社の今のありように、台湾原住民族の人たちの、私と同様であるはずのなくなった家族への思いを踏みにじるようなあり方をしている靖国神社に疑問を感じる。そのような状況が、私を靖国神社に行くことを許さない。言い換えれば、靖国神社とそれを取り巻く日本社会の現状が、私に家族を弔うことを禁じているのである。」──あるいは、「そのような状況があるのを承知しながら、しかし、私は家族を弔いたい、実際に手を合わせたいという気持ちを抑えることができない。だから、これは図々しいお願いであることを承知してはいるが、しかし、私が家族に手を合わせることを、どうか許して欲しい。そう願いながら、私は靖国神社を参拝する。願わくば、同じ機会が、台湾原住民族の遺族の方たちにも実現されるように、願いつつ、また、そのように靖国神社と日本社会に向けて要請する」。

 これが唯一最善の解答だ、というつもりはない。ただ、今、僕が思いつく限りのことを言うならば、この程度のことしか言えない、ということだし、しかし、このくらいは言えるだろう、ということだ。歪んだ社会の中でそれでも生きていくとは、常に誰かを踏みつけにしながら生きていくことであるし*5、傍観していることもまた踏みつけにすることを免れない。そうではあっても、踏みつけ方、というものを考えることはできるのだ。あるいは、これが可能だ、と信じるところにしか、可能な何かを模索することはできない。正しい踏みつけ方、というものは、存在しない。そもそも踏みつけているからには、正しさなどないのだ。しかし、踏みつける必要のない世界へ向けた踏みつけ方、よりマシな踏みつけ方、正しさに向けた踏みつけ方くらいは、可能かもしれない。実際に踏みつけにしている世界の中で人々が手を取り合うためには、最低限、その程度のことは考えられるべき、なされるべきである。

*1:「台湾の李登輝前総統、靖国参拝の意向」asahi.com

*2:台湾の国会議員

*3:傍観者とは、自らを傍観者と定義する当事者のことである。

*4:というより、この発言は「兄」への冒涜でさえありうるのではないか。

*5:踏みつけにしてしまうがゆえに、何かを我慢しているならば、それは、自分を踏みつけにしている、ということである。