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モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

Locked-inの二つのイメージ

 TLSについては、まだまだわからないことだらけで・・@What’s ALS for me ?
 ajisunさんのこのメッセージも「それは特殊なケース」と切り捨てる医療者は多いんじゃないかと思う。なので、僕の思うところを一つ、付け加えておきたい。問題は、医療と経済に関わること。


 Locked-inしたその後のイメージについて、おおまかに二通りあると思われる。
 第一。不潔で不快なベッドに放置され、誰が訪れるでもなく、誰が声をかけるでもなく、来たところで「あんなになって却って死なせた方がいいんじゃない?」などと哀れまれ、という状態を一言も発することもできずに耐え忍ぶだけの生。
 第二。物を言えないがゆえに不自由ではあるけれど、清潔にしてくれて、寝返りを打たせてくれて、聞かなくても誰でも思いつきそうなことはちゃんとやってできるだけ快適に保ち、沢山の人が訪れて「生きている人」として扱ってくれて、呼びかけてくれて、手を握ってくれて、その体温を感じてくれて、毎日の生活を報告してくれて、喜びや悲しみを伝えてくれて、つまりは「世界を受信する(言葉は発信できないけど)」ことを享受するだけであっても、でもそれだけはできる生。


 第一のイメージしかなかったら、死にたいと言うだろうな。僕でも。Locked-inしてようとしてまいと、そういう状態で生きている人は沢山いるし、医師たちの周囲にも多いのだろうと思う。そして、そういう人は、要求しないと、あるいはしても、必要な介助が受けられない状況の中に暮らしていることが多いだろう。こういう人にとって物が言えるということは不十分なQOLをつなぎとめている最後の砦であって、Locked-inは第一のイメージにつながるしかない。そうだったら、相当の確信を持って「先生、そうなったら死なせてください」と言いかねない。仮に、そういう人が多少はいるとして、医療者の周りにも沢山いるとする。──が、これを真に受ける前に考えるべきことがある。問題の根っこには、日本の医療・介護保障の貧困さがあって、とても第二のイメージに沿った生活を実現できそうもない。と考えるとすれば、尊厳死に答えを求めるのは分からないではない。でも、これは絶対に違う。第二のイメージに沿った生活が実現できるように求めていくことが先だろう。医師の仕事は今でも「生きること」に寄り添うことであって、医学の進歩でそれが変わった、ということはない。

 これはつまりは、QOL(生活の質)の問題であり、そこに投入される資源量の問題であり、平たく言えば「カネの問題」ってこと。ajisunさんの周囲にいるALS患者というのは、不十分ながら、日本の(いや、世界の)ALS患者の中で、最高レベルのQOLを享受している患者たちでもある*1。その水準が達成されれば、それでも「死にたい」とどこかで泣き言言うくらいには辛い病気であるのは確かだとしても、本当に殺されそうなところでは、「すごい形相でにらんできた」り、「呼吸器はそのままで(装着したまま)」と伝えたりする人もいる、ということだ。実際にその状態にある人が、このように言う力を持っている、という事実は重い。


 全部が全部、ではないにせよ、一般の人々がすぐさま「死んだ方がマシ」というイメージに流れていくのは、Locked-inも含めた重度障害を抱えた状況のQOLをどのくらいまで高めることができるか、その中でどの程度のことができるのか、その状態から見たときのLocked-inがどのくらい恐いことであるのか(ajisunさんの報告によれば、死にたいほどではない、わけだ)、そういことを知らないからに尽きるのじゃないか。このくらいの快適さがあれば、本当に呼吸器に手をかけられるような逼迫した状況を想像しながらは「死にたい」とは言えないのだ。

# 絶対に殺さないことを知っているから「死にたい」という泣き言を言う自由が生まれる、とも言える。人の生って奥深いです。

*1:その経済的負担は、すべてのALS患者にこの水準を普遍化してもちゃんと実現可能である、という程度のものだ。