モジモジ君のブログ。みたいな。

はてなダイアリーから引っ越してきました。

keya1984さんの反論に答える

 これも私信みたいなものです。本質的な進展はありません。


 特に節立てがあるわけではないので、keya1984さんの「解放区建設の情理」に書かれていることに、上から順番に答えていきます。

(3行目あたり)努力目標だからゆっくりやればいい、みたいなノリなんですが、「強制退去させないこと」は、コストがかかるわけでもないので、「即時達成」が勧告されていることです。一般的意見4の10では、「国の発展状態にかかわらず、即時に取られなければならない一定の措置」として、「一定の行為を政府が行わないこと」と述べられています。コストなしにできることはやれよ、ということです。

(21行目以降)社会権規約には居住権の定義があり、日本は同規約に批准しています。ですから、社会権規約に定義されているところの居住権が野宿者にある。この解釈を理解する上で、借地借家法はまったく関係がありません。
で、借地借家法で定義されている居住権は、社会権規約における定義と異なります。異なる、という事実だけがありますが、借地借家法の定義と違うから、という理由で社会権規約における定義が無意味になるわけではありません。借地借家法による居住権は借地借家法によって保護され、社会権規約による居住権は社会権規約によって保護されている、というだけです。それら二種類の居住権は異なる概念だ、ということです。「国際人権規約周辺の「居住の権利」と、国内法における「居住権」とを、文字が似ているからといってゴチャマゼにして」いるのは、僕ではなくkeyaさんです。


 以下の引用部について。

(1)野宿者に「消えてなくなれ」(=死ね)と正直に言う。

⇒粗暴な悪意。口に出す出さないはともかくそういう人もいるだろう。

(2)野宿者の公園居住を認める。

⇒ 「公園に居住権がある」ことと「公園に緊急避難で住むことを黙認する」こととは別である。「公園には誰の居住権もない」ことを確認しつつも「公園に緊急避難で住むことを黙認する」ことはできるのだから。つまり、「公園に当該者の居住権がある」ことを否認することは「公園に当該者が緊急避難で住むことを容認しない」ことをただちに意味するものではない。

(3)野宿者の公園以外の場所での「十分な居住」を実現することを認める。

⇒何をもって「十分な居住」とするかだが、mojimojiさんの設定では「あれこれ要求しすぎ」「賃貸の公営住宅に住んでいる人がかえって不平等になるのではないか」「商用に使える施設であるはずがないではないか」「国際人権規約の一般的規則7は別の話」と指摘済み。

 僕が言っていることは、「公園に居住権がある」から、「公園に緊急避難で住むことを黙認しなければならない」です。keyaさんは、まるで黙認してもしなくてもいいが、善意でしてあげてるかのような話にするのだけど、そこで選ぶ余地なく、社会権規約が認めるところの居住権によって、そしてそれに日本政府が批准していることによって、以下のことが言えます:十全な住居を提供するか、少なくとも自発的にそちらに移り住んでよいと思える程度に良い住居が提供されない限り、公園に緊急避難で住むことは黙認しなければならない。
 (3)の「あれこれ要求しすぎ」は、社会権規約から完全に離れてます。賃貸の公営住宅がそんなに酷い状況になっているなら、それ「も」改善すべき、という話になるだけ。以下、指摘済みのところは、全部的外れであることが指摘済みのはず。

これは「政治声明」であって「論理」ではない。いや、もしこれを「論理」と言っていいのなら、これは「打倒すべき対象は誰か、敵か味方か、その踏み絵を踏ませるための誘導論理」なのである。

 これには完全に脱力してしまったのですが・・・。人間には肉体があってどこかにはいなければならないから、僕の提示した「論理」が、誘導論理としての力を持つ、わけです。誤魔化しとして誘導的な枠組みを捏造しているわけではありません。が、keyaさんが正しいかもしれないので、keyaさんが正しいとすれば答えられるはずの反証問題を出しておきます。そのためには、次のことを示せばよいです。すなわち、「公営地(⊃公園)に居るでなく、どこかの用意された十全な住居に居るでもなく、消えてなくなるのでもないならば、その野宿者は一体どこにいるのか」ということを教えてください。そんなことが物理的に可能なんでしょうか。世の中には、まだまだ僕の知らないことがたくさんあるようです。

 その後、「さて、おどろおどろしい話はここまでである」以降(当該エントリの後半三分の一)は、もはやどこにどう答えてよいのかが分からないほど明後日の方向に向かってます。「なぜ、mojimojiさんは加害者の位置にホームレスを置いてしまったろうか」なんて問いを思いつくセンスは、僕の想像を超えています*1。どうしても何も、「根絶」の対象が通常加害者とされるものか被害者とされるものかは、この文脈ではまったくどうでもいいことだからです。・・・で、多分、全部お答えしたことになると思います。

*1:まだまだ世界は広いな、と思わざるを得ない一日でした。まる。